番外編2 申告義務

作者:中田かなた

番外編② 申告義務

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 六月。初夏に入り、うだるような暑さの日々が続くようになった。
 そんな中、ぼくたち月熊高校文芸部はというと、いつも通りの活動を続けていた。文芸部のドアを開けると、この暑さをものともせずに読書にふける租税さんがいた。これもいつもの光景だ。
 そう、これがいつもの光景なのだ。
 租税さんとぼくと金子がそれぞれ読書し、適当な時間で帰る。ドアには『租税相談承ります』なんて掲示されてはいるものの、実際に相談に来たお客なんて一人もいなかった。

「ところで租税さん。そろそろこの租税相談の掲示を外してもいいんじゃないですか?」
「んん? どうしてそう思うのかな?」
「だって、依頼者なんて一人も来ないじゃないですか」
「来たわよ! イズミ君とか金子さんとか」
「両方とも身内のようなものじゃないですか」

 ぼくは文芸部の部員だし、金子だって文芸部に相談に来たわけじゃない。
 その後、金子は文芸部に入部した。何でも、これまでの心労を鑑み、母親の命により喫茶店の手伝いの頻度を減らされてしまったらしい。突然できてしまった空き時間を何とかしようにも、これといった特技の無い金子は、お世話になった租税さんのいる文芸部に入りびたり、そのままだらだらと入部する運びとなっていた。

「ところでさ、本当に依頼人がきたらどうすればいいのかしら?」
「どうすれば、とは?」
「前口上とか考えておいたほうがいいんじゃないかしら? ただの人間には興味がありません! みたいなのを」
「それだと誰も寄り付きませんし、ただのパクリですよね」
「それじゃあ、源君考えてよ」
「ただの人間には興味ありません! お帰りください!」
「どれだけやる気ないのよ……」

 ぼく達は、文庫本を手に持って、雑談をしていた。
 これがいつもの文芸部の活動風景だ。いつもなら、こんなまったりとした空気の中、金子が現れて騒がしくなるところだったけれど、今日は何かの用事で遅れているらしい。実に平和でよろしい。
 そう思っていたら、突然声をかけられた。

「あの~、そろそろ相談をきいてくれますかな?」
「え!?」

 いつの間にか、部室内には一人の男性がいた。
 顔には無数のしわが刻まれており、かなりの高齢であることが窺い知れる。

「いつの間に……」
「ついさっき来たところです。申告の相談を受け付けてくれるという張り紙があったから、よってみたのですじゃ」

 ぼくが男性の側まで椅子を持っていくと、男性は「よっこいしょ」と声にだしてゆっくりと座った。というか、この人誰だ?

「それでは――。ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら――」
「それはやらなくていいですから」
「そ、そう? 私としたことが焦ってしまったわ。それで、どんな相談なの?」

 租税さんに言われ、男性は話し始める。

「ワシは今、年金暮らしをしているんじゃが、実は確定申告に行くのを忘れていたんじゃよ。それで、申告をしないと何か問題があるんじゃないかって不安になったんじゃよ」
「年金収入はどれくらいあるの?」
「1,500,000円くらい」
「それならしなくていいわ。多分、源泉所得税もとられていないでしょうし」
「ああ、そうかい」

 男性は安心したように、大きく息を吐いた。

「いいえ、安心するのはまだ早いわ!」
「まず、どういう人が確定申告をする必要があるのか。制度上、色々と定められているけれど、簡単に言えば確定申告をする義務のある人というのは『そこそこの額の所得税を払わなければならなくなりそうな人』のことだと思っておいて。年金しか収入が無い人は、申告して所得税が発生するようなことは滅多に無いから、年金収入が4,000,000円以下であれば、確定申告をする必要がないということになっているわ」
「そうですか。それはありがとうね」

 そう言って、男性は立ち上がろうとした。
 すると、租税さんは男性を呼び止めた。

「待った!」

「何ですじゃ?」
「話はここからが本番よ。これから、申告義務がない人についての話をしましょう」
「どういうこと?」
「確定申告をしなくていいからといって、申告をしないままにしておくと損をしてしまう場合があるのよ」
「そうなんですか?」
「年金ぐらしの人が、特に確定申告に興味を持つことも無く生活してきたとしましょう。でも、この人たちは使える控除を使わずに、本来払わなくてもいい税金を払ってしまっている可能性があるのよ」
「え、でも源泉徴収が引かれていないってことは、確定申告をしても所得税は戻ってこないんじゃないんじゃないですか?」
「その通りよ。でも、住民税を忘れてしまっているわ」
「住民税?」
「以前も話したと思うけれど、所得に応じてかかるのは所得税だけではないのよ。所得から控除を引いた金額の一割程度が住民税として課税されることになるんだけれど、この人はぎりぎり住民税が課税になってしまう可能性があるわ」
「そうなんですか?」
「ええ、でも、配偶者控除をとったりすると、住民税の課税基準が高くなるの。だから、仮に住民税が課税になっていたとしても、確定申告をして配偶者控除を追加すれば、平成二十九年度の住民税を非課税にすることが出来るわ。自分がどういう状態になっているのかも分からない人は、とりあえず月熊町役場に相談に行くといいわ」 

【住民税】
 都道府県が課税する『都道府県民税』と市区町村が課税する『市区町村民税』の合計

【住民税の課税基準】
 住民税には、『均等割』と『所得割』というものがあり、その合計額が課税される。

【均等割】
 一定以上の所得のある人に課税される金額。課税されるか非課税になるかの基準は、自治体によって多少異なる。また、扶養の人数・障害者控除・寡婦(寡夫)控除の有無などによっても変わってくる。

【所得割】
 所得から控除を引いた金額に税率をかけることで課税される金額。

「ここでも他人だよりなんですね。でも、もう確定申告の時期は終わっちゃったから、税務署までいかないといけないんじゃないですか?」
「それは困りますじゃ。あんな遠くまで行くのは大変じゃ」
「今回は、所得税は関係なくて住民税の話になるから、住民税申告で大丈夫だと思うわ。それに、相談だけなら申告期間以外でも乗ってくれると思うわ」
「住民税申告? なんですじゃ、それ?」
「その名の通り、住民税についての申告よ。月熊町役場で出来ると思うから、後は自分で問い合わせてみて。大事なのは、よく分からなかったら相談してみるということよ。相談先としては、年金くらいなら月熊町役場にでもいけばいいわ。そうすれば、役所の職員がいい感じにやってくれるはずよ」
「分かったですじゃ。ありがとう」

 そういって、男性は立ち上がった。
 そのタイミングで、丁度金子がやってきた。

「待たせたわね」
「待っていないよ」
「待っていないわ」
「あれ、何だか辛らつ!?」

 部室に入ってきた金子は、さっきまで男性が座っていた椅子に目をつける。
 男性は、いつの間にかいなくなっていた。

「あれ、なんでこんなところに椅子が置いてあるの?」
「金子さん、聞いてくれる? なんと、さっき記念すべき最初の租税相談のお客さんが現れたのよ!」
「よかったじゃない、租税さん。それで、どんな人だったの?」
「さっき金子さんとすれ違ったおじいさんよ」
「すれ違った? どこで?」
「そこのドアのところで」
「……私、そんな人とすれ違っていないわよ」
「え……」
「どうしたんのよ、二人とも。白昼夢でも見たの?」

 言われてみれば、さっきまでの出来事にはあまり現実味が無かったように思える。
 租税さんはというと、何か思い当たることがあるかのように「あ……」と一言呟いた。

「租税さん、どうしたんですか?」
「何でそんな人がここに来たのかな? というより、部外者がこんなに簡単に入れちゃっていいのかな? 学校のセキュリティとかってどうなっているのかな?」
「いや……」
「まさか、幽霊!?」
「そんなわけがないでしょう」
「でも、もしあの人が幽霊だとしたら、私が呼び寄せちゃったんじゃないかと思うのよ」

 呼び寄せた? もしかして、話にでた前口上のことだろうか。
 でも、あれが何故幽霊を呼び寄せることになるんだ?
 ぼくが考えていると、租税さんは当たり前のことのように、その理由を説明した。

「いや、だって――幽霊って、あの世に住む『異世界人』でしょう?」

          2

 翌日、文芸部の部室には、見覚えの無い老婦人がいた。
 年齢は昨日の男性よりも少し若い程度。全体的に黒を基調とした落ち着いた服装をしており、喪服を想起させた。

「実は、今年の一月に主人が亡くなったんですけど……。何でも、準確定申告というのをしなくてはいけないと聞きまして、ここにやってきたんです」
「あの、何故ここに?」
「ですから、申告に関する相談に……」
「相談するなら、普通は税務署とか月熊町役場でしょう? 何故こんな月熊高校の文芸部にきてしまったのかって聞いているの!」

 租税さんがむきになって尋ねた。昨日の今日だから、少し過敏になっているのだろう。
 部外者が簡単にここまで来られるというのにはぼくも驚いているが。

「ああ、何故だかは私にも分かりません。ただ、主人に導かれたような気がして、気がついたらここにいました」
「……まぁ、いいわ。とりあえず、お話しましょう」

 租税さんは諦めたようだった。というより、これ以上聞きたくないようだ。

「まず、準確定申告というのは死んだ人の分の確定申告のことよ。これも、所得税が発生しそうな場合だけで大丈夫なんだけど、何か事業とかはしていたの?」
「いいえ、していません」
「だったら、大丈夫よ。もしも年金から源泉徴収が引かれていたりしたら戻ってきたりもするから、源泉徴収票が届いたらまた来年月熊町役場で確定申告をすれば戻ってくると思うわ」
「そうですか」
「それと、これ以降はただの豆知識なのだけれど、亡くなった年の分については、亡くなった人を扶養に入れたりすることが出来るわ。つまり、今まで平成29年分の申告で、貴女は亡くなった旦那さんを対象にした配偶者控除を使えるのよ。旦那さんが障害者手帳を持っていれば障害者控除も使えるわ」
「今まで、私が主人の扶養に入っていたんだけど、逆になるんですのね?」
「その通り! 理解が早くて助かるわ! とりあえず、確定申告についてはこれくらい知っておけば十分だと思うけど、相続税とかについては税務署に聞いてみてね」
「ああ、ありがとうね」

 老婦人は立ち上がると、部室を出て行こうとした。
 そのタイミングで、丁度金子が部室のドアを開けた。老婦人は、そのドアから出て行ったが、金子はその老婦人を見ようともしなかった。
 まさか、このパターンは……。

「驚いた~。いきなり知らない人が出てきたから、目を合わせないようにしちゃった」
「そうよね! あ~、よかった~」

 租税さんは胸をなでおろしていた。

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