番外編5 最終回

作者:中田かなた

番外編⑤ 最終回

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 始まりがあれば終わりもある。
 租税さんが始めた租税相談も、始まってから半年ほどたった今、それなりに認知度が高くなってきており、月熊高校に通う生徒を通して、その家族が租税さんに相談をするという案件もいくつか出てきた。租税相談は、段々と波に乗ってきていた。
 だけど、開始当初から懸念していた問題があった。
 それは、租税さんが受験生であるということ。租税さんは毎日部室に来て、本を読む暇も無く勉強に勤しんでいたのだけど、それを租税相談でさえぎられると言う事がしばしばあった。客の大半は生徒だったけれど、時には教師や部外者までもが租税さんに相談に来ていた。態々税務署や月熊町役場まで行かなくても対面して相談できるということで、租税さんの納税相談はいつの間にか人気が出てしまっていた。

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 夏休み明けのある日のこと。
 租税相談を終えた租税さんは、唐突に言った。

「引退するわ」
「は?」
「聞こえなかったのかしら? 私は文芸部を引退すると言ったのよ」

 租税さんは、机に伏しながら疲れたような声色で続けた。
 おそらく、前から考えていたことなのだろう。文芸部に人が尋ねてくるたびに、相談を受ける租税さんの勉強は中断されていた。ぼくと金子は、その近くで相談内容と租税さんの回答を聞くだけのただの置物状態だった。

 ぼくも金子も、いつかこんな日がくるのではないかと思っていた。
 租税さんの引退。それは必ず訪れる、避けられない展開だ。こうも唐突に宣言されるとは思っていなかったけれど、夏休み前、部屋の端で小さくなって「我学問は荒みぬ、特に数学」とうわごとのように呟いていた姿を見たぼくたちは、それなりに覚悟はしていた。

「夏休みは……役に立ったのですよね。数学を完全に理解したわけではなくても!! 租税さんの夏休みは!! 租税さんの数学攻略の糧になったのですよね!?」

 ぼくの言葉に租税さんは俯く。

「もちろん――! イヤ、今回の夏休みで……私は、なんの成果も! 得られませんでした!」
「えー」
「イズミ君の漫画が部屋にあったばかりに! ただいたずらに時間を浪費させ! 数学のヤツを!  駆逐することが出来ませんでした!」
「ぼくのせいだった!?」
「ちなみに、司馬遼太郎は言ったそうよ。『自分というものに学校というものは一切存在理由がなかった。自分にとって、図書館と古本屋さんさえあればそれで十分であった』って」
「諦めモード!?」

 さて、茶番はここまでにしておこう。いや、租税さんにしてみれば笑い事じゃないんだろうけれど。
 租税さんの引退については想定の範囲内だ。ただ、それにより租税相談は諦める必要があるだろう。もともと租税相談は文芸部がやっているというより、租税さんが一人でやっているようなものだった。
 ん? あれ? もしかして、これって租税さんが引退しなくても租税相談をやめてしまえばいい話なんじゃないか?

「あの、租税さん。引退って、引退すると何か変わるんですか?」
「え?」
「だって、租税さんが引退して文芸部に来なくなったら文芸部はもう租税相談をしなくなります。でも、租税さんはもう有名人だから、文芸部を引退したからと言って相談が来なくなるわけじゃないと思います。要するに、租税さんが引退したところで、相談者がここに来るか租税さんの教室に行くかの違いしか生まれないでしょう」
「甘いわね、イズミ君。ハチミツよりも甘いわ!」
「そのフレーズ、気に入ったんですか?」
「いえ、気にしないで。それよりもイズミ君。私が引退するからといって、文芸部が租税相談を止めるだなんて誰が言ったの? 我が文芸部の租税相談は永久に不滅なのよ!」
「租税さんがいないんじゃ、止めるほかないと思いますけど」
「いいえ、文芸部の租税相談はイズミ君と金子さんの二人に引き継いでもらうわ」
「無理ですよ」
「無理なんかじゃないわ。イズミ君と金子さんならきっと出来る。貴方たち二人は、私が授けた最終手段を有効に使って、適切なアドバイスを人に与えることが出来ると信じているわ」
「無理です」
「……イズミ君。今年の初め、君の確定申告をした時のことは覚えているかしら?」
「覚えていますよ」

 そもそもの始まりは、ぼくの源泉徴収票だった。あの冬の日、ぼくが偶然租税さんに出会わなかったら、文芸部で租税相談なんてやることはなかっただろう。

「あの時、君は確定申告をするためにどうしたのかな?」
「税務署に行きました」
「そこで、確定申告書を作るのを手伝ってくれたのは誰?」
「税務署の職員です」
「そうよ。だから、確定申告に関しては税務署を頼ってしまえばいいのよ。君が最低限把握しておかなければならないものは、税務署の電話番号くらいのものよ」
「いや、でもそれじゃあ租税相談の意味がないんじゃないですか?」
「そうでもないわ。そもそも、税務署に電話で問い合わせていいのかどうかも分からない人も沢山いるでしょうし、そういう人たちに方向性だけでも伝えるというのは重要よ。あとは税務署が上手くやってくれるでしょうから」
「でも、ぼくの父さんの場合は、月熊町役場に行きましたよね?」
「そうね。でも、確定申告についての問い合わせ先は税務署で大丈夫よ。月熊町役場でも十分なら、税務署もそう教えてくれるでしょうし、税務署に問い合わせるべき内容ではなかったとしても、どこに問い合わせればいいかは教えてくれると思うわ」
「それじゃあ、金子みたいな相談も……」
「税務署を案内してあげて」

 租税さんは即答する。

「そういえば、金子さんの家の喫茶店はどうなったの?」
「無事営業はしているわよ。母が介入してからは、母がコーヒー豆の仕入れや帳簿の作成を全てやってしまっているようで、父はただの手伝いみたいになっちゃったけど。何だか、はまっちゃったみたい」
「そうなんだ」
「今度租税さんもコーヒーを飲みに来てみてよ」
「前向きに検討するわ」
「絶対来ないわ、この人!」
「まぁ、金子さんの家の話はこれくらいにしておいて、後は……色々な人が来たわよね」

 得体の知れない老人男性。
 得体の知れない老婦人。
 夜の女王、というかアリア先生。
 彼ら彼女らのほかにも、この文芸部の部室には様々な濃い面々が現れた。

「どうしてこう、まともな人が来ないんですかね?」
「まともな人は税金の相談相手に一般高校生を選ばないからよ」
「ですよね! あと、租税さん自身が色々やってましたよね。クマえもんとか。そういえば、公務員試験を受けるように勧められていたようですけど、進路はどうしたんですか?」
「大学に進学予定よ。そもそも、月熊町役場に就職できたとしても、一生税の仕事をするわけじゃなくて、大体三年くらいで部署異動になるらしいのよ。だから、とりあえず進学して、私が本当にしたいことをはっきりさせた上で、最終的にどんな仕事に就くのかも決めてみたいと思うの」

 何だか、予想外の立派な発言に、ぼくと金子は圧倒されてしまっていた。
 小学生のような租税さんが、今は何だかぼくたちよりも大きく見えてしまう。

「そういうわけだから、後のことはよろしくね、イズミ部長」
「え?」
「一番の古株なんだから当たり前でしょう? イズミ君にはこれから文芸部部長として頑張ってもらうことになるわ。折角金子さんも入ってくれたんだから、廃部になんてさせないでね。それじゃあ、文芸部部長こと租税のうふは、普通の女の子に戻ります」

 そう言って、租税さんは文芸部を引退していった。
 
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 翌日、租税さんは部室にいた。
 あまりにも自然だったから気に留めなかったけれど、昨日引退宣言をしたことを思い出す。

「……昨日の今日でどうしたんですか、租税さん」
「あ、イズミ君。今日、自習室に行ったんだけどね、沢山の人が私の頭を撫でようとするのよ。しかも、その言い分が『人間だとは思わなかった』とか『気がついたら撫でていた』とかなのよ。信じられる?」

 信じられる。それどころか、確信を持って言える。
 それらの言葉は、全て事実だ。

「だから、人が来ないこの文芸部の部室に避難しに来たのよ。最早、ここは文芸部の部室ではなく私専用の自習室になったと思ってくれていいわ!」
「そうですか。それじゃあ――」

 ぼくは租税さんの隣に座り、読書を始める。
 租税さんは、こちらが気になるようで、ちらちらとぼくの持つ本に視線をやった。

「あれ、租税さん。集中できていませんよ」
「うう、イズミ君のいじわる……」
「それに、租税相談がきたらどうするんですか? そこで大人しく黙っていられますか? いい子にしていられますか?」
「うう……」

 租税さんが涙目になっていると、金子が部室に現れた。
 租税さんは金子に走り寄る。

「カネゴーン、イズミ君がいじめるの~」
「よしよい。イズミ、租税さんに何をしたの? よ~しよしよしよしよし」

 金子は突然甘えてきた租税さんを撫で回した。
 租税さんはこの扱いにも不満があるらしく、機嫌を悪くしてしまった。

「ところで、租税さんは何でここにいるの? 昨日引退したんじゃなかったの?」
「色々とあったのよ」
「まぁ、きてくれるならそれに越したことは無いからいいんだけど。ああ、そうだ。昨日イズミに借りた租税さんコレクション、三冊くらい読んでみたわ」
「え、何その私コレクションって!?」

 租税さんが驚きの声を上げる。

「以前、租税さんが貸してくれたライトノベルですよ。金子も一応文芸部員だから本くらい読んだほうがいいだろうっていうことで、租税さんに借りたライトノベルを金子に貸し出していたんです。そういえば、租税さんに漫画を貸しっぱなしでしたよね。そろそろ、再交換して元に戻しませんか?」
「ああ、それはもう少し待ってちょうだい」
「別に構いませんけど、そのまま卒業なんてしないで下さいよ」
「分かっているわ。それよりも、昨日ふと思いついちゃったんだけどね、漫画やライトノベルに出てくる萌えキャラって、目が大きて鼻が低くて鼻の穴もほとんど描かれないっていう場合が多いと思うのよ。つまり、その特徴を兼ね備えた存在である猫こそが萌えの終極地点なんじゃないかと思ったんだけど、イズミ君はどう思う?」
「勉強すればいいと思います」
「むぅ。分かりましたよ~。今日から、ここで勉強させてもらうから」
「はいはい」

 結局、租税さんはこれからもここで勉強をするというスタイルで落ち着いたらしい。
 色々からかうようなことを言ったけれど、ぼくも金子も租税さんのことはいつでも歓迎している。二人とも、租税さんに対して返すべき恩があるのだ。必要であれば、出来る限り協力しようとも思う。
 でも、今はとりあえず戻ってきてくれたことを喜ぼう。
 ぐだぐだな展開ではあったけれど、租税さんがこの部室に戻ってきてくれたことを喜ぼう。

「租税さん」
「何かしら?」
「これからも、よろしくお願いしますね」
「うん、こちらこそ」

 租税さんは何気なく答えた。
 でも、その顔にははにかんだ笑顔が浮かんでいる。
 とにもかくにも、ぼくたちの租税相談はもう少しだけ続くようだ。

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