ソニカとイフリア

作者:涼暮 皐

ソニカ=アルハーツは貴族である。
 それは幼くして魔術の修練と研鑽に明け暮れ、嗜みとして武術を叩き込まれ、勉学に勤しみ、礼儀作法を学び、淑女としてどこに出しても恥ずかしくない人間として鍛え上げられたということである。
 つまり彼女には、大抵のことならば無理なくこなしてみせるだけの器用さがあるのだ。
 才能や感覚ではなく、あくまで努力を積み重ねた経験として。ソニカは意外にも器用な少女であった。

「ふん。ふふーん。ふふ……ふーん♪」

 よって彼女にかかれば、このような鼻歌でさえ美声から紡がれる音楽の一種となる。
 さすがに歌唱の訓練まで受けたことはないが、人前に立って話す技術も、時に必要とされるもののひとつ。どう発生すれば声が通るのか、という基礎は培われていたし、一流の音楽に触れる機会も人並みよりは多かった。
 今日は休日。学院の制服ではなく、個人で用意した私服に身を包んでいる。
 長く艶やかな赤髪が揺れていた。どこか油断した、だからこそ気取らない素の表情で微笑む上機嫌のソニカは、きっと絵になったことだろう。

 ――本来ならばの話だが。

「ふふーん、ふーん、ふー……ふへへへへへへへ。へ、へへ……」

 天使の唄声もかくやというはずのハミングは、気づけば次第に厭らしい笑い声へ移り変わり。
 気取らない、というより気の抜けすぎたその表情は、神聖な学び舎に存在していい類いのものではない。
 またその装いも、決して身分の高貴さを窺わせる仕立てのいい衣装などではなく、むしろ汚れることを前提とした活動的な格好――というか端的に言って安物の布着。
 そして手には魔術師らしい、というよりは魔女らしい、もっと言うなら下女らしい使い古しの竹箒。

「言うなれば、オフに自室を掃除するメイド……って感じだよね」
「あれ。イフリア、何か言った?」

 嫌味ではなく真顔で問い返すソニカに、同行人の少女――イフリア=エルクレグリは処置なしと首を振るのだった。

「いいや、何も言ってない」
「そ? ならいいけど」

 今さら何を言ったところで、ソニカという名の一体の掃除の鬼が、何か変わるでもなし。
 イフリアはとっくに諦めているのだ。こうして休日にいきなり連行されなければ、なんの文句も言わなかった。

「それより急ぐわよ、イフリア。ないとは思うけど、もし先生が朝から出かけてたら台なしでしょ」
「……休日を台なしにされているのは現在進行形でぼくだし、ないとは思うがアキ先生は出かけているほうが幸せだろう」
「何か言った? 今なら聞こえなかったことにしてあげてもいいけど」
「そうか、ならそのまま難聴でいてもらおうかな。……もうめんどくさいよ、はあ」

 見つかったのが運の尽き。そんなことはわかっている。
 それでも、意味がないとわかっていても、不満の表明は怠らない。イフリアはそういう少女だ。
 せめて表情を歪ませて、じと目でソニカを睨むことだけが、唯一の反撃なのである。

「いいじゃない、誘ってあげただけ感謝しなさいよ」

 露骨に溜息を漏らしながら背後をついて来るイフリア。
 ソニカも細めた視線を向けて、同行人に告げる。

「どうせ暇そうにしてたんだから」
「休みを狙ってアキ先生の部屋を襲撃しよう、なんて考える君といっしょにしないでほしいね。ぼくは忙しい」
「イフリアなら図書室に籠もって本を読んでるか、部屋で惰眠を貪ってるかの二択でしょ」
「後者はともかく、図書室で勉強するならきちんとした予定だろう」
「……私は、あの部屋のこと、知ってるんだけど」
「な!? なぜ――いつの間にっ!?」
「語るに落ちたわね」

 クルストリア第一学院の図書室には、限られた者しか知らない隠し部屋がある。
 イフリアはそこを独占し、独自の蔵書を中に溜め込んでいた。
 古今東西の様々な《禁断の愛》について記された貴重なる参考文献(意訳:ちょっと過激な少女向け恋愛小説)の数々が、イフリア・ザ・ベスト・セレクションとして納められていることは最大の秘密なのだが……。

「……アキ先生だな? ほかにいないもんな……っ!」

 割と知られたくない最悪の秘密を、よりにもよってソニカに知られている。白い印象のイフリアが、今や耳まで真っ赤だ。
 道理で見つかったわけだ、と白い少女は歯噛みする。
 さきほど、図書室まで向かうルート上に、折よくソニカは現れた。そしてイフリアを見つけるなり「今からアキ先生の部屋を掃除しに行くからついて来い」などと宣ったのである。
 これは偶然ではない。

「いいだろう。別に用事もなかったが、こうなれば話は別だ――ぼくも同行しよう」
「……もう着く頃になって、そんなこと言われてもね」

 しれっと教職員専用寮を歩いているふたり。
 学院の外れにあるこの建物は、部屋の半数以上が余っていることもあり、敷地内では特に静かだ。休日の早朝でも、特有の喧騒に包まれる学院の中で、この落ち着いた空気は珍しい。

「……で?」

 と、イフリアは問う。
 もう十歩も歩かないうちにアキの部屋へ辿り着くという頃合いだった。

「で、って何よ?」

 ソニカは足を止めて問う。
 不要なまでの、というか明らかに不要な緊張感が、ふたりの間に迸った。

「いや、訊いておこうと思ったのさ。なぜぼくを呼んだのかと」

 ソニカの家事好き、その中でも特に病的なまでの掃除好きはイフリアも知るところ。
 休日ごとに彼の部屋を訪ねては掃除しようと試みている。そのたびにアキ専属の学院メイド――リシェと《どちらが掃除の権利を得るか》で鎬を削り合っていることは、もはや名物と言ってよかった。だいたい負けているが。
 だが。これまでその中で、ソニカがほかの救世科のメンバーを同行させたことは一度もない。

「まさかぼくを戦力として呼んだわけじゃないだろう?」
「当たり前でしょ」
「言っておくがぼくは片づけが苦手だ」
「知ってる。……や、自慢げに言うことではないと思うんだけど」

 常に書物やら筆記具やら実験用具やらで散らかっているイフリアの自室。
 いつか掃除してやろう、なんて虎視眈々とソニカは狙っていた。

「モノを掃除するときはね……なんというか、救われてなくちゃいけないと思うの」
「何言ってんだ」
「何かが綺麗になるのって快感じゃない。こう……ぞくぞくするというか」
「本当に何言ってんだ」
「元が汚ければ汚いほど、綺麗にしたときの快感って、……んんっ!」
「この女、想像だけで快楽を感じてやがる!」

 ――超怖っ。
 あまりに倒錯した掃除への愛に、さすがのイフリアも戦慄を禁じ得ない。
 が一方、この程度で誤魔化されてやれるほど安くもなく。

「話を誤魔化すなよ。結局、質問に答えてもらってないぞ」
「……たまたま目に入ったからでしかないっての。単なる気紛れ、誰もいなければひとりで来たし」

 さらりとした返答だが当然、イフリアはそれが真意だと素直には受け取らない。
 ある程度の腹芸、この程度の演技ならば、貴族の嗜みとしてこなすだろう。
 感情が表に出やすいソニカだが、どう考えても絶対に貴族の嗜みではない掃除技能に長けている辺り、やると思えばやる女でもあるはず。

 ソニカは言う。――アキ先生はだらしないから、私たち生徒がしっかり見張らなくちゃ、と。
 だがそんな方便を、本気で信じている者は当のアキと、あとはアミくらいだろう。
 仮にアキが本当にだらしなくて、ソニカがそれを案じているとしても。専属メイドのリシェがいるのだから、任せておけばいいだけの話。ソニカの掃除への偏愛を加味したとしても、だ。
 それをせず、いつも構ってほしいとばかりにアキの元へ行くソニカの気持ち。
 たとえ直接には確認したことがなくとも、察することのできないイフリアではなかった。

 ――でも、だったらひとりで行くはずなんだ。わざわざぼくを巻き込んだりしないはず……。

 せっかくのふたりきりを、ほかの誰かに邪魔されることは望むまい。意識的にしろ無意識的にしろ、幼い独占欲のようなものを、ソニカはアキに抱いている。
 なら、イフリアを呼んだことには当然、何か別の思惑があるに違いない。なんとなくの気紛れだなんて信じられない。

「ま、まあ仮にも教師の、それも男の部屋に、女子がひとりで行くってのもね? ほら、よくないかもでしょ?」

 訊かれてもいないのに弁解を始めるソニカに、イフリアはジト目。
 気紛れという前提がさっそく崩れている。語るに落ちているのはソニカのほうだ。

「ふうん。……まあ、君がそう言うならいいけどね?」

 イフリアはあっさりと答えた。
 その余裕が、たぶん気に喰わなかったのだろう。次はソニカが、イフリアに対して訊ねた。

「何よ。だったら訊くけど、そういうイフリアはなんでついて来たわけ?」
「……なんだそれは。呼んだのはソニカ、君のほうだろう」
「だからって、本当に嫌だったら、あんた絶対ついて来ないでしょ。それが今日はやけに素直じゃない」
「ソニカみたいな天邪鬼といっしょにしてもらいたくないね」
「イフリアだって大概でしょーが」
「ぼくは、君に呼ばれたから……君が呼んだから来たんだ。それ以上の理由はないね」

 端的にイフリアは言う。
 実際それは一面の真実だろう。少なくとも嘘ではなかった。
 現実的に、呼ばれなければ部屋に行くなんて発想もなかっただろうし、わざわざ呼ばれたということ自体に、興味を刺激されたから来たことも間違いではない。
 けれど――それだけではないこともまた事実だった。

「イフリア。あんた、最近やけにアキ先生と仲よくない?」
「……そうかな? 別に、先生に対する態度を変えたつもりはないけれど」
「その割には、妙に当たりが優しい気がするけど」
「ソニカが厳しすぎるだけだ。ぼくは、命を助けられたんだぞ? 魔術師としても教師としても、ぼくはアキ先生を信頼しているし、それに応えたいと思っている。当たり前のことだ」
「……弁明の口数が多いわね?」
「君が、妙な勘繰りをしてくるからだ」
「先に言ったのはイフリア」
「なんだと」

 じとり、と睨み合う少女ふたり。視線の間に火花が散り、それはいつ爆発してもおかしくない劇薬のよう。
 おそらくこの時点で、お互いにある程度のことを察していたのだろう。

 ――もしかしてソニカ/イフリアは、アキ先生のことが好きなのではないか、と。

 お互いそれがわかっていて、むしろふたりは、自分のことのほうがまだよくわかっていないのだ。

 ――果たして自分は、本当にアキ先生のことが好きなのだろうか、と。

 ソニカもイフリアも恋など知らない。そんなものに触れてきた経験はまったくないのだ。
 だからこそ強く憧れもあり、ゆえに乙女は理想を描く。その理想と現実との乖離に、どうにも適応できていない。
 彼女たちにとっての《白馬の王子様》は、どうにも決まりきらない、三枚目であったのだから。
 これは恋なのだろうか。
 それとも単に、助けられて舞い上がっているだけなのか。
 仮にこれが恋だとするなら、そのとき自分はどうするのだろう。
 もし目の前の友人も、また自分と同じ気持ちだったのなら、そのときは――。

 正確なところは違っていても、ふたり揃って、まだまだ自分の気持ちに答えを出せるほど大人じゃない。

 これは、だから、その程度のじゃれ合いだったのだ。
 間違っても険悪になるほどの喧嘩じゃない。どう転んだところで、何もわかっていないのだから。
 まだ幼く淡い仄かな気持ちに、自分自身が振り回されているだけのこと。

「……もう行こっか」
「だね。……ぼくもバカらしくなってきた」

 お互いに溜息をつきながら、肩を落として再び歩く。
 なんだか、無駄に時間を使ってしまった。そもそもいったい、なんのために話していたのやら。
 お互いに相手の気持ちを読み取ろうとして、お互いに自分のことがわかっていない。だから話も進みやしない。

 ――根本的なところで、気が合うふたりということなのだ。
 たとえば、

「――あ。ダメ――、やめ――、さ――、さま――」

 こんな風に、アキの部屋から女の子の声が聞こえてきたときとかに、それがわかる。

「あれ。今、何か声が……?」
「リシェさんの声よね? ぬかった、まさかもう来ているとは。こんなに早く!」
「君は結局のところ掃除は掃除で本当にしたいんだね――いや待て、ソニカ。なんか様子が妙だ」

 突っ込みを入れかけたイフリアだったが、その途中で止まる。
 ソニカもほぼ同時に、同様の違和感に辿り着いていた。
 なんだか。
 部屋から聞こえてくる声が、おかしい。
 ふたりは部屋の戸の前まで行く。

「いけません、アキ様。そこは……ああダメですっ。わたし……んんっ」
「ほら、気持ちいいだろ? そう抵抗するな」
「……」
「……」
「あ。ダメですっ、そこは……んんっ、び、敏感なんですっ。ダメぇ……っ!!」
「そうか、ここか? ここがリシェはいいんだな? ならもっと強くやってやろう」
「…………」
「…………」
「ん、んんんぅ……っ!? ひゃっ、ダメですっ、それは乱暴ですっ……あんっ!?」
「いい声出すねえ、リシェ。俺もなんだか興が乗ってきたぜ。大丈夫、痛いのは最初だけだから……!」
「……………………」
「……………………」

 艶やかな声色。まるで《イケないこと》をしているような。
 ソニカとイフリアは顔を見合わせ、同時にひとつ、頷きを作る。

「……ふふふ。あの男、また何かおかしなことをしているみたいね……」
「いやあ、これは弁解できないね。ダメだろ。これはダメだ。確かに教育が必要なようだよ」

 ――その後の顛末は至極どうでもいい。
 どうせ日頃のお礼としてマッサージをしているという程度のオチだし、実際その通りだったからだ。
 それでも、割とアキは調子に乗ってわざとそれっぽい台詞を発していたのだから、誤解が解けた上でなおふたりの生徒から折檻されたことなど、いつも通りの笑い話に過ぎないのである。

 そんなもんだった。

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