ガブリエル・アンド・ファーレンハイトその1

作者:白乃 友

(ほとん)ど話したことは無いのに、やたらと記憶に残ってしまう人がいる。
 私にとって、()()(くら)(まる)()がそうだった。
 中学の頃、同級生だった。
 彼女と初めてコミュニケーションをとったのは一年生の時だった。
 そしてそれ以来、卒業までは一度も関わり合いを持った事は無かったのだった。
 三年間、同じクラスであったというのに。

 入学して一ヶ月後の話だ。
 女子の間で何となくグループが出来あがり、その輪郭(りんかく)をはっきりさせるための儀式(ぎしき)が必要になる頃合いのことだ。
 私の所属していたグループはカラオケにて、生煮(なまに)えの友情にしっかり火を通し、クラス内での敵味方をはっきりさせようという目論見(もくろみ)(くわだ)てていた。
 十人程度、あえて部屋は分けずに一部屋。
 四時間の歌の会は滞りなく終了した。

 参加した一人一人に対し、あの娘は自分が歌っている際にドリンクの追加注文をしようとすると機嫌(きげん)を悪くするだとか、あの娘は盛り上がっている時に空気を読まず情感たっぷりのバラードを歌うタイプだから、これからの付き合いでは積極的に友達だと思われない方が良いだとか。
 お互いの、目に見えないマニュアルを作成しあっているような時間だった。
 勿論、歌うことは好きだったし、この集団に自分が所属しているのだと再確認することは快楽だったけれども、それ以上に私は、素人のオムニバス・ライブなんて聞いていられないというクチだったので、内心は、一仕事終えたような倦怠感(けんたいかん)を覚えていたのだった。

 そんな私が、皆(そろ)って会計している途中、財布(さいふ)を部屋に忘れてきた事に気が付いた。
 無論、部屋に戻るべきである。しかし、いかにも団体行動していますという空気の中、一人輪を外れるという宣言もし難い。いうなれば、私の様な主張の少ない女子にとってはトイレにすら行きづらいタイミングであった。
 そこで私は、二十秒以内というタイムの目標を定めて、ひっそりと誰にも何も言わず部屋に戻り財布を取り戻した後、誰にも悟られず何食わぬ顔で輪に戻る、という作戦に出た。
 例えるなら居合いの達人が、大根の繊維(せんい)を傷つけずに一刀両断、大根は切られたことに気付かずに形を保ち続ける、そんな芸当である。

……私は少し、神経質すぎるだろうか。

 だが、私が小心者で無かったならば、私と奈々倉丸子の(えん)は無かったはずなのだ。
先程まで歌っていた部屋のドアを開けると、そこに、()たのだった。
奈々倉丸子が。
 立ち上がろうともせず、通信カラオケ業者の提供する番組が延々(えんえん)と流れるモニターを見詰め続けて。
そして。

「どうして、泣いているの?」

 私は、声をかけた。
 奈々倉丸子は、右目から(ひと)(しずく)の涙を流していた。
 私の頭の中から、会計の輪を抜ける前、己に向けて長々と述べていた口上が()き消えていた。

 私は少し過剰な方かも知れないけれども、誰だって友情とやらのために積極的に擬態(ぎたい)して生きている。
 奈々倉丸子の今の姿は、全く擬態していない。
 先程まで彼女も一緒に、女子達の作り出す歌とコミュニケーションの輪に、自然と溶け込んでいたはずだというのに。

 だから私は、まるで着替えを(のぞ)いたような無作法(ぶさほう)を犯した気分になっていたのだった。
 奈々倉丸子は、答えなかった。
 私を一瞥(いちべつ)すらしなかった。
 私は、彼女が注視しているモニターを、彼女と一緒になって見詰め、言った。

「『acid shampoo』の『a』。次が、『シャンソン・ツヴァイ・パクチー』の『い』、『ユリシーズ女学院』の『シ』、(いな)(じま)(てる)()の『て』、そして最後、『うるう年のルービック』から『ル』。全部合わせて……」

 画面に表示されていたのは、アーティストやバンドの名前を組み合わせて作られた、単純なクロスワードパズルだった。
 私は、奈々倉丸子がクロスワードパズルに集中しているあまり、皆が部屋から出て行ったことに気付いていないのだろう、そして問題を解くことが出来ない悔しさから涙を流しているのだろうと決めてかかった口調で、言った。

 無論、多少なり奈々倉丸子を挑発(ちょうはつ)する意味合いがあった。
 無視なんて、女子の間では、騎士(きし)が手袋を投げつけるにも(ひと)しき行為のはずだった。
クロスワード自体を解くのは、造作もない事だった。両親がテレビと音楽関係の仕事をしていたので、流行のアーティストの名前くらい、家庭内教養として覚え込まされていたのだから。

 しかし、この場合問題なのは、答えの内容だった。
 思春期を今まさにむかえようとしている女子にとって、羞恥(しゅうち)誤魔化(ごまか)すことの出来ないものだった。
 私は、通信カラオケ会社を恨んだ。
 カップルのデートに対してお節介をしてやろうなんて企画は、この間まで小学生だった私にはまだ早すぎる。
 言葉を飲みかけたが、()めた方が意味深になると分かっていたので、私は(はじ)をこらえて正解を口にした。

「……愛してる」

嘆息(たんそく)する。
 その時初めて、奈々倉丸子がこちらを向いた。
 皆が帰っていく中、部屋に一人で残り続けるのも、そこで一人で泣いているのも文句なしの奇行であり、私は無意識に、彼女のことを「幼い」と断じようとしていた。
 それが(くつがえ)された。
 その時の私には、奈々倉丸子の顔のあどけなさ……一見、あらゆる少女の宿す表情に埋もれていきそうなその表情が、例えようもなく複雑に見えた。
 雑草の茂ろうとする中、一つだけチューリップの球根が芽吹(めぶ)いているのを見つけたような。

「皆、帰っちゃうわ。次は紅茶の味がするケーキを食べに行くらしいの。優雅よね。だから、興味がなくても付き合わないと」

 私は、あえて集団に追従することに甘んじている自分、というクールな姿勢を振りかざすことで、彼女の優位に立とうとした。

「ゥチ、カラオケ初めて来たの」

 奈々倉丸子は、私の心中を欠片(かけら)も悟っていないようだった。

「歌い足りないのかしら」

「こんな(さび)しい場所だとゎ、思わなかった」

 奈々倉丸子の発音は独特なものだった。
 私の中に、舌っ足らずを(あなど)る気持ちと、その妙にクセになるイントネーションから連想される外国人の様なニュアンスにたじろぐ気持ちが()き上がっていた。

「何となく分かるわ。カラオケが終わった後って、全ての音が小さく聞こえて、カラオケで騒ぐ前の世界とは別の世界に投げ出されたような気分になるのよね。映画館なんかでも同じだけれど、カラオケは、騒いでいるのが自分達だから、より一層、これで終わりなんだって空しくなるのよね」

 何とか、上段に構えたまま、貴女の言うことなんて容易く理解できるのよというスタンスを取り続ける。
 しかし、実際のところ、奈々倉丸子の感情を理解できていなかったのは、奈々倉丸子本人だったようだ。
 奈々倉丸子は、私の言葉に(うなず)いた。己の気持ちに初めて納得したように。
 どうやら、本当の意味で彼女をこの場に縛り付けていたクロスワードは、彼女の中にこそ存在していたようだった。
 少なからず彼女の心境に同意する気持ちはあった。
 カラオケというのは他のどこよりインスタントに、祭のあとなんて言葉を認識してしまえる場所だと、私も思っていた。

 反面、泣くほどかよ、と呆れてもいた。
 私の中の、奈々倉丸子のマニュアルに、かまってはいけない不思議ちゃんのチェックが追加された。
 中学生であった私にとって、人付き合いという言葉は、連座制(れんざせい)に直結するものだった。今後の学校生活において、彼女の巻き添えになって、周囲から奇異(きい)の目で見られたくないなら、これ以上彼女と関わるべきではないなと思った。

 それでも。

「ねえ」

 この部屋を出てからは(ろく)に会話することもないのだろうと思うと、(わず)かな名残惜しさがあった。

「カラオケが終わった後、寂しくならない方法を教えて上げましょうか」

 だから、そんなことを言ってしまったのだ。
 思いつきで。

「そんな方法あるの?」

「簡単よ」

 涙をぬぐい食いついて来た奈々倉丸子に、私はテーブルに置かれていたデンモクを差しだし、タッチペンで軽く画面を叩いて見せた。

「自分の一番好きな曲を入れて、それが演奏され始める前に部屋を出るの。今日みたいに客が少ない日なら、会計をしている間も(うっす)らと曲が聞こえてくる。そうすると、部屋の中でまだ、自分が歌い続けているような気分になれるの。落ちついて、店を出ていけるわ」

 奈々倉丸子は、曲を探し始めた。
 私は、目の前の彼女が、私の発案により行動を決定したということに、何故か陶酔(とうすい)に似た感情を覚えていた。
 奈々倉丸子は画面に集中していたので、私は遠慮なく、彼女の表情を注視し続けることが出来た。
 大抵の少女にとってまだ、涙の跡が化粧を流してはいないか気にしなくてもよい年頃の話だった。

 奈々倉丸子が最後に選んだ曲がどんなものだったか、私はどうにも思い出せない。
 ただ、彼女のタッチペンが小さく液晶(えきしょう)を叩く音。
 それだけが強く印象に残っている。



 運命とは数奇(すうき)なものだ。
 奈々倉丸子と再会したのは、中学を卒業してからしばらくした頃だった。
 そして今、私と丸子は喫茶店の四人掛けテーブルで、隣合(となりあ)って座っている。
 あと数分もしないうちに対面に座るであろう見知らぬ誰かを、待ち続けている。

 中学を卒業した後の私の人生……奈々倉丸子に再び出会うまでの顛末(てんまつ)を、語っておこうと思う。
 一言で言えば、散々なものであった。
 芸能の仕事に従事する私の両親は、自分達の属する華やかな世界に対して(ほこ)りを持っていた。
 ()し計るに、ああいった場所ほど、才能という言葉が自然に行き来する業界も無いのだろう。
 私の両親は、自分達の事を健全な二人親だと思っていたようだが、それは間違いだった。
 空気に含まれた微量の毒を吸い続け、気が付けば中毒になっていくように、私の両親は才能というものに執着していた。
 日常的に存在してしかるべきものだと、思っていたに違いない。

 父は優秀な映像プロデューサーで、母は名の売れた歌手兼ギタリスト。
 少なくとも、自分達の才能のいくばくかは、一人娘に受け継がれているはずだと、固く信じていたのだろう。

 結果、私は凡庸(ぼんよう)な女だった。
 歌うことは好きだったし、ギターも弾いたが、幼いころから、己の存在を世に表明してやろうという野心に欠けており、それは突出したものが自分の中にないということに対する早熟(そうじゅく)な自覚でもあった。
 様々な分野で、平均点だけは取り続けていたのだけれど。
 二人は(むし)ろ、他の教科は壊滅的なのに数学だけやたら得意だとか、人語は話せないのにバック宙を一度に二回転できるだとか、そういった娘を所望していたのだろう。
 父はいつからか、才能の無い娘の反抗期に構って消耗するなんて馬鹿らしいと言わんばかりの態度だったし、母は産婦人科での日々を白昼夢(はくちゅうむ)か何かのように思い始めている節があった。

 だから私は、家を出たのだ。
 原宿(はらじゅく)は竹下通りを抜けた先に広がる、一体どこまでパレスだのキャッスルだのといった建物名に、がめつく「原宿」と付け足す気なのだろうかと思われる辺りにあった、安いアパートの部屋を借りた。
 高校には進学しなかった。
 両親は反対しなかった。

 友達に言うと、その徹底した無関心ぶりは一周回って愛情なのではないかと言われたけれど、そうでないのは私が一番良く肌で感じていたのだった。
 未成年者の賃貸には親が色々と判を押さねばならなかった。押してくれた。呆気(あっけ)なく。親の一存で私の自由は幾らでもおじゃんになるということだったが、その権利にすら、私の両親は無関心だったのだ。押さずに駄々をこねられても時間の無駄、ということだったのだろう。
 中学を卒業してからバイトして溜めた金は、最初の二、三か月で消えることが確定していたので、私は即座に仕事を探した。

 名を上げたいという、漠然(ばくぜん)とした欲求があった。
 有名になった自分を何度も想像した。
 愚鈍(ぐどん)なリポーターが、才能ある両親に支えられてここまで来たのですね、などと私に質問する様を何度も思い浮かべた。それに対し「いえ、(ほとん)ど全て自分の力でやってのけました。親は―――」と、両親の冷徹を暴露する瞬間に辿り着くまでなら、何だってやってやろうという気になっていた。

 そんな折、原宿の街を歩いている際に、アイドルのスカウトを受けた。
 そして馬鹿な私は、ネズミ(こう)勧誘(かんゆう)だと気付かないまま、ほいほい付いて行ってしまったのである。
 (たく)みな事務所長に(だま)され、ありもしない養成所の教材だと言われ、まんまと十四万円もする、持ち運べるサイズが売りの、プライベート用カラオケセットを買わされてしまったのだ。
 数日経ち、ひっかけられてしまったことに気付き激怒した私に詰め寄られた所長は「これからは一緒に騙す側に回ろう」と、持ちかけてきた。「ちゃんとしたアイドルの仕事も出来る限り回してあげるから」と。

 以来、ずぶずぶの関係が続いている。
 目下(もっか)、私にはグラビアアイドルの仕事が回された。
 グラビアモデルのデジタル同人即売会なんていう聞いたことも無い市場で、水着で写真集を売ったりした。

 タイトルは『真夏の温度(ファーレンハイト)』。
 なぜF(ファーレンハイト)……()()なのかというと、所長曰くFカップある私の胸とかけた改心のタイトルということらしかった。
 こんな調子でいつか成功しようなんて、無茶苦茶(むちゃくちゃ)にも程があると理解はしていたが、事務所を脱退する気は起こらなかった。

 なにせ、他には何もないのだ。
 たった一つの縁ならば、納豆の糸のように細い縁であれ、(すが)りつかないわけにもいかないと、寧ろ簡単に見切りをつけることこそ本気でない証拠だなどと、私は思っていたのだ。

 しかも、カラオケセットは買わされてしまったものの、私がさらに同じようにしてメンバーを勧誘してくれば、計算上は途方も無い(かせ)ぎを得ることも出来るはずだったのだ。
 (たね)(ぜに)を手に入れる道が目の前にあるのに歩きださないのは、愚かな事に思えていたのだ。
 そんなわけで、あれはいつものように、大き目のショルダーバッグにカラオケセットを入れて、事務所にも近い竹下通りにて、カモを見つけようとしていた時のこと。
 人と、ぶつかった。
 その相手が、奈々倉丸子だったのだ。

 中学を卒業して一年も経っていないのに、随分、変わったように感じた。
 メイクや服装なども、よりギャルらしく洗練されているような。
 成長期に身長が伸びるように、肉付きが良くなるように。
 女としての技術も自然な成長を遂げているように、私には感じられた。

 地面に転がったバッグから、カラオケセットの頭が飛び出ていた。
 私は、ひどい劣等感(れっとうかん)を持った。
スマートに、あどけなさから脱しつつある奈々倉丸子に比べて、重たいカラオケ機を持ち歩いている私が、八十年代初頭、(おか)()ちみたいな大きさの携帯(けいたい)電話(でんわ)を持ち歩いていた人みたいに思えてしまったのだ。

「待って!」
 
一礼して通り過ぎようとする丸子を、呼びとめる。

「あなた……」

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