ガブリエル・アンド・ファーレンハイトその2

作者:白乃 友

「待って!」

 一礼して通り過ぎようとする丸子を、呼びとめる。

「あなた……」

奈々倉(ななくら)丸子(まるこ)でしょ、と言おうとした。
 しかし、言えなかった。
 こちらを見詰(みつ)める奈々倉丸子の表情が、どうにも、私を覚えているように見えなかったからだ。

 普通なら、中学最後のクラスメイトの顔くらい、少なくとも何カ月かは覚えているものだと思う。
 しかし、奈々倉丸子に限っていえば、例外なのだ。
 三年間の内に発覚した、元々彼女の持つ(うき)世離(よばな)れした思考もその一因(いちいん)だが、それ以上に、人は思い出したくない記憶を封じ込めることもあるという。

 ならば、ダブルバインド。
 (ろく)に会話も交わさなかったクラスメイトの顔など覚えていなくても、仕方無い。
 ならば、黙っていようと思った。
 これからの展開には、そちらの方が都合良い。
 奈々倉丸子の、中学時代の逸話(いつわ)を思い出しつつ、私は、今この瞬間が一世一代のチャンスなのだということを確信していた。

「アイドルになって見ない?」

 チャンスの女神には、前髪しかないという。
 私はそれを、しっかりとつかんだ。
 カフェにて、話し合いに持ち込むことに成功した。

「というわけで、アイドル戦国時代。我らが『HJK女子校800(エイト・ハンドレッド)』は、同じように女子中や女子高を名乗るアイドルグループが、実際は多くて数十人規模であり、グループ名に学校と名付けるのは景表法違反なのではないか、という現代の闇に果敢(かかん)に切り込んでいくことを、自分達の使命としているのよ。志の高い新進気鋭のグループなの」

 私は、机に置いた名刺を、人差し指と中指で丸子の方へ差しだした。

()御良(おら)F()(はた)(きり)』と、名前が記されている。
 芸名だが、F(勿論(もちろん)Fカップ、もといファーレンハイトのFだ)を外して、ファミリー、ファーストネームの順に直せば、そのまま私の本名になる。命名は所長だ。
 流石に勘付(かんづ)かれるかと思ったが、丸子はまだ、私がかつての同級生だということに気付かなかった。

 私は、自分の影の薄さを(なげ)いたりはしなかった。
 もう、無視が決闘状となる年頃ではないのだ。
 丸子は首を(かし)げ、言った。

「…………HなJK?」

原宿(はらじゅく)の略よ。一応」

 あの所長のことだから、少なからずそう言う意味も込められているのかもしれないが。

「メンバーの勧誘(かんゆう)をメンバー自身に行わせる、画期的なプロジェクトなの。アイドルにはなりたいけれど、生活が苦しいっていう娘のためでもあるわ。メンバーを新しく加入させた娘には、事務所から特別手当が出る。しかも、その新しく加入したメンバーの娘が更に新しい娘を勧誘した時も、親である貴女(あなた)は配当を受け取れるのよ。孫からも、ひ孫からもね。しかも、今ならメンバー加入費はタダ。ただし、自主レッスンの為の、自宅カラオケセットを買うことが条件になるけれど」

 勿論、アイドル計画なんてものは青写真ですらなく、ネズミ講として、カラオケセットさえ売れ続けていけば御の字なのであるが。

「今が一番のチャンスよ。実はまだ、正式なメンバーは私だけなの。勧誘されて入りたいって娘はたくさんいるけれど、多すぎて事務所の手続きが込み合っている状態。私は事務所長に信頼されてる。今、この場で私の勧誘を受けてくれれば特別に、他の娘の手続きに割り込んで、貴女をナンバー2にしてあげられるわ。貴女に続く778人が、貴女の(かね)(びつ)になるというわけよ」

 制限時間を設けて、正常な判断力を奪うという常套(じょうとう)手段。
 応募者が殺到しているなどというのも(うそ)だ。
 殺到どころか一人もいない。しかし、貴女だけじゃない、他にもたくさんいるとさえ言っておけば、とりあえず安心してくれるというのが日本人というものだ。

「今なら私とあなたで、神ダブルスよ」

 そして、とどめ。
 私と貴女は、すでにもう特別な関係になりつつある、と。
 片足を突っ込んでしまっているのですよ、という意識を植えつける。
 奈々倉丸子は、ぽつりと(つぶや)いた。

「神…………」

 その後、しばらく沈黙が続いた。
 私は、何としても彼女が欲しかった。
 沈黙は人を冷静に立ち返らせる、なにか(まく)し立てなければという(あせ)りが生まれたときだった。
 丸子が言った。

「条件がある」

 言葉の意味を理解した瞬間、私は必死に歓喜を抑えた。
 条件がある、つまり、私が条件さえ飲めば、カラオケセットを購入してくれるということだ。
 苦節数カ月、ようやくカモが罠にかかろうとする時が来たのだ。

「条件って?」

「ゥチの家出先に、なって」

 丸子の出した条件は、私の家に居候(いそうろう)させろ、ということだった。
 まず、この時の私は浮かれていた。
 それに、いつまでもメンバーを増やせない無能と、あの所長に思われるのは屈辱(くつじょく)だったし、極力断るのは避けたかったというのもある。
 加えて、私のアパートはベッドスペースがロフトみたいになっているので、二人で暮らしてもさほど問題は無さそうだと、楽観視していたところあった。
 私は快諾(かいだく)する。口の端の笑顔をいよいよ隠し切れなくなりながら、言った。

「なら今日から」

 続きを口にしようとした時、一瞬だけ、言葉が詰まったような気がした。

「私が親で貴女が子で、ということね」

 奈々倉丸子は、翌日から私のアパートの部屋に転がりこんで来た。
 カラオケセットの代金と家出道具を(そろ)えて。
 日が経つにつれ、金も洒落(しゃれ)っ気も無かった部屋に、彼女用のリップや、マニキュア、シャンプーのボトルが増えていった。
 樹が果実をつけていくみたいに。


 運命とは数奇(すうき)なものだ。
 そして今、私と丸子は喫茶店の四人掛けテーブルに隣合って座っている。
 SNSで連絡をとった、見知らぬアイドル志望の少女が対面に座るのを待っている。
 その少女にいかにしてカラオケセットを買わせるか、ということを二人して黙り、思案している。

 もっとも、私は今日、それほど丸子のやり方に口を出すつもりはない。
 丸子の勧誘デビュー戦を見守ることだけに(てっ)するつもりだった。
 言うなれば、ネズミ講の授業参観だ。
 私は、丸子の「親」として、勧誘の手法などを教授し、あまつさえ屋根まで貸している。
 子は、生まれた時は無能で構わないが、ある程度成長したなら恩を返さなくてはならない。つまり、実際の功績をたてることにより、親の自尊心を満たさなければならないということだ。

 その点、私は丸子に期待していた。
 丸子は中学時代、あらゆる意味で残酷(ざんこく)な女だった。
 中学一年の時、カラオケで見せた異形(いぎょう)片鱗(へんりん)は、あっという間に教室の中で(ふく)れ上がり、学校中にまで広まった。

 一言で言えば、丸子はファッションにおいてカリスマだったのだ。
 通常の人間なら、理性で(ひか)える位の自己表現を、あっけらかんと行った。
 スカートの(すそ)にスリットを入れて登校したり、タトゥーシールを首筋に張ったり、濃い紫のリップを使ったり、付け八重(やえ)()なんて意味の分からないものを使用した。
 彼女のせいで、ゴスが吹奏(すいそう)楽部(がくぶ)の女子達に流行ったりしたこともあった。男性教員の間で付けまつ毛が流行ったりもした。

 丸子の生み出した流行は、「丸子の後追いをしているのではない」と、他の生徒達が自分を納得させるまで時間をおかれた後、校内で広く受け入れられた。
 ガラパゴス化した私達の学校の裏で無自覚に糸をひき、流行を作り出している丸子の存在を、他の中学生達は「第三中のファッション・フィクサー」なんて言っていた。

 けれど、私は何となく、その呼び方は的を射ていないと思っていた。
 丸子が行っていたのは、流行を作り出しているなどという生易しいものではなく、価値観を螺子(ねじ)()げている、といったようなことだった思う。
 その証拠に、丸子は流行の発信源であるにも(かか)わらず、もてはやされることなく、けなされ、疎外(そがい)され続けていた。

 上履(うわば)きに画びょうを入れられたり、机の表面に「学校来んな」と()られたり、トイレに入っている間に、頭から水をかけられたりしていた。
 きっと私以外は着目していなかったと思うが、他の生徒達が丸子に与える苦難(くなん)には、何一つオリジナリティが無かった。
 ドラマか何かで学んだような、ステレオタイプの悪意、というか。
 周囲は、丸子を典型的ないじめられっ子のカテゴリに納めることに必死だった。
 それはつまり、強烈な畏怖(いふ)の裏返しでもあった。
 その事を客観視しているのは私だけなのかと、他の生徒に確認をとるような恐ろしい事はしなかったけれど。

 私がただの傍観者(ぼうかんしゃ)でいられたことすら奇跡(きせき)であるとすら思っているのである。
そういう意味では、疎外(そがい)されるのと同時に中心でもあった丸子と私は、まさに対極だったのかもしれない。

 奈々倉丸子は、青春に対する劇薬だった。

 多かれ少なかれ、彼女と同学年だった人間は、三年間の間に培われるはずだったものの内、何かを犠牲にせざるを得なかったのである。
 健全な夢だとか、希望だとか、そう言ったものだ。
 クラッシュされた(あこが)れと憎しみを、丸子によって叩き込まれ続けていたのだ。
 きっとまだ、奈々倉丸子という存在を消化しきれていないあの頃の同級生もいると思う。

 だが、私は違っていた。
 奈々倉丸子の、人の価値観を螺子曲げる天性の才は、ネズミ講に使えると思った。
 私には思いもよらないやり方で、カラオケセットを買わせることが出来るはずだと、閃いた。

 だからスカウトして、育てた。
 丸子が大きく成功すれば、システム上、私にも金が入ることになるのだから。
 待ち合わせ時間前ギリギリに、SNSで知り合った少女はやってきた。

「というわけで、ゥチらHJK900(ナイン・ハンドレッド)ゎ、実際のスクール・カーストに(のっと)った画期的なチーム分けをして活動していくんだよ。チームH『チアリーダー』、チームJ『サイドキックス』、チームK『メッセンジャー』。女子校のあの空気を完全再現したアイドルグループとして……」

 丸子の弁舌(べんぜつ)は、私が予期していたのよりずっと、軽やかだった。
 ちなみに、グループ名の数字が900になっているのは、私が一人勧誘したと知った所長が調子に乗ってノルマを釣りあげたからだ。
 少女は、丸子からの提案がネズミ講だと気付いていないようだった。

 第一ステップクリア。
 しかし、わりかし感心した様子で、興味深げに聞いていた少女は、カラオケセットの値段を聞いた途端(とたん)、遠慮のない渋面(じゅうめん)を作った。

「でも……それ買わなきゃいけないんですよね。高すぎませんか……」

「日本語の最新ヒット曲が五千曲も入ってるからね」

 丸子が、私の仕込んだ売り文句を口にする。
 だが、

「14万は、流石(さすが)に……」

 そうだ、ここから先が難しいのだ。
 ここまで感心して聞いてくれる娘は意外にも多いのだが、14万という金額は大きな壁となる。
 どうやって乗り越えさせるか、作戦を練っておくようにという指示はしてある。ファッション・フィクサーのお手並み拝見といった所だが……。

「レディ・ガガガ、好きなんだよね」

 丸子が口にしたのは、アメリカのスーパースターの名前だった。
 少女は(わず)かに、(おどろ)きを見せた。

「ええ、どうしてそれを……」

 話題が、自分の趣味の話に移行したこと、また金の話から()れたことで、少女は安堵(あんど)を得たようだ。
 丸子は不敵な笑みを浮かべる。
 きっと、少女のSNSを読み返し、(あらかじ)め仕入れていた情報だったのだろう。
 丸子は、机の上に鎮座させていたカラオケセットを持ちあげ、スピーカーの裏側を見せつけた。
 少女が、大きな驚愕(きょうがく)を見せた。

「これは……まさか……」

「そう。レディ・ガガガのサインだよ」

「うそ、ガガガの?!」

 私は少女に()られることなく、努めて平静さを保とうとした。
 私まで驚いていたら、不信がられるに決まっていた。
 丸子は、得意げに語り続ける。

「ガガガが、ニューヨークのボロっちいアパートで夢を追い続けていたってのは知ってるよね。これは、ガガガが、貧乏時代に練習してたのと全く同じモデル。ガガガにゥチらのこと話したら、『オッケー、バッドロマンス!』って快くサインしてくれたんだよ」

「なにそれすごい! ……あれ、でも、日本のヒットソングが五千曲なんですよね。なのに、同じモデル……?」

「ガガガ位になると、言語くらいゎ超越してて当然ってコト」

 少女と丸子の会話は、どんどん盛り上がっていく。
 反対に、私の豊満なバストは、シャツの下で冷や汗を浮かべていく。汗疹(あせも)を心配する余裕も無い。

「ガガガゎもう、ゥチらのために量産体制に入ってくれてるんだよ。ゥチらのお友達になれば、これからはこんな事がもっとたくさん……」

「ちょっと、失礼するわね」

 私は丸子を店の外に引っ張りだし、すぐ脇にあった路地に連れ込み、詰問(きつもん)した。

「何考えてるの?! 念のため聞くけど、サインは本物ではないのよね」

「本物だよ。ゥチが書いた本物」

 どうやら丸子の価値観を螺子曲げる力は、自分自身にも働いてしまうようであった。
 私は、丸子の鼻先に人差し指を突きつけた。

「サインを捏造(ねつぞう)するなんて……自分のやっていることが分かっているの?! あなたのやっていることは詐欺(さぎ)よ!」

「詐欺じゃない。イオ、言ってた。お金の無い女の子でも、どんな女の子でも夢を追う権利があるって。このカラオケセットゎ、皆を幸せにするカラオケセット。これさえ買えば、たくさんの幸せが待ってるのに勿体(もったい)ない。ゥチゎちょっと背中を押しただけ」

 私は、何も言えなくなった。
 そうだ、丸子がメンバーに参加し、カラオケセットを販促(はんそく)している動機は、私と違い金や功名(こうみょう)(しん)では無いのだ。
 私は丸子に、このアイドル勧誘がネズミ講であることを教えていない。
 (だま)されたままの丸子は、私から与えられた仕事を、アイドル業界に革命を起こすための仕事だと、信じ切って奉仕している。

 今回は、その盲信(もうしん)が行きすぎた形になった、と言うことなのだ。
 私は、葛藤(かっとう)した。
 いや、確かに今回のような手段であっても、売りつけられるなら、それでも良いっちゃ良いのだ。
 だが私の中で、事務所に渡されたマニュアル通りに騙すのと自分なりに創意工夫して騙すのとでは、それは全く違ったことなのだ。

 具体的に言えば、後者はプライドが傷つく。
 がっついて詐欺してるみたいで。
 いや、がっついてはいるんだけれども。
 古き良きヤクザがカタギだけは大事にするように、マフィアにとって家族を大事にしないやつが男じゃないように、どんなクズだって「落ちる所まで落ちてないアタシ」みたいなナルシシズムを持っているものなのだ。
 そして今まさに、そんな私の中のデリケートな部分が汚されているように感じてしまっているのだ。
 丸子が、()ねたように言った。

「せっかく、一晩かけて、ガガガのサイン真似(まね)できるようになったのに……ガガガのことたくさん調べたのに……」

「分かった、分かったから。とにかく、今日は止めにしましょう。それと、もうあんまりガガガって連呼しないで頂戴(ちょうだい)

 何故か無性に、気まずくなるから。
 私達は店に戻った。
 席から少女の姿と、カラオケセットが無くなっていた。

 チャンスの女神には前髪しかない。
 そして、そうなんども通りすがってはくれない。
 この日を(さかい)に、まともに食いついてくれる客はいなかった。

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