ガブリエル・アンド・ファーレンハイトその3

作者:白乃 友

私達は、堕落(だらく)していった。

丸子(まるこ)は、カラオケセットを売るために、あらゆる創意(そうい)工夫(くふう)()らした。
 例えば、(にせ)クロコダイル風の革製ジャケットの内側に、カラオケセットを()い込んだものを作ったりして、14万円分の値段感を(かも)し出させようと奮闘していた。最終的に出来あがったものは、ちょっと凝ったマタニティ体験ウェアぐらいのクオリティであり、売りものにはならなかった。

 丸子は、私の部屋に、予想していなかった程のロングステイをしていた。
そんな日々の中で、私はある発見をした。
 いつまでたっても、自分が詐欺(さぎ)の計画を立てているのだという自覚を持たない丸子を見詰(みつ)めていると、人生で味わったことのない安心を得ることが出来たのだ。

 どこにも行きつかない、成功するわけがない丸子の情熱を、私は黙って見詰めていた。
 丸子も、私に見られながら作業することを、好ましく思っているようだった。
 丸子を勧誘(かんゆう)した際、私達は「親」と「子」の関係になったと、彼女に告げた。
 同い年だが、私達の間に流れている空気は、表面上は確かに、特別な(ぬく)もりを持ったものだった。

 しかし、その表面を一枚めくれば、現実があった。
 二人で過ごす時間が積み重なるにつれ、丸子はいつまでたっても結果を出せない「子」なのだという実感が、私の心の片隅(かたすみ)で増していった。
 私は段々と、その実感からすらも目をそらすようになっていった。
 時々、自分の両親のことも思い出した。
 私の、ネズミ講に捧げた日々はきっと、どこまでいっても、あの両親とは無縁なものとして終わり行くのだろう。

 かの有名な科学者はパーティの席で、ある女優に、こう誘惑(ゆうわく)されたという。「あなたの頭脳と私の美貌(びぼう)(あわ)せ持つ子どもが生まれたら素敵(すてき)だと思わない?」。科学者は答えた。「僕の容姿(ようし)と君の頭脳を持った子どもが生まれたら、どうすればいい?」

 どうすればいいというのだろう。
 私は、どうすればいい?

 情熱を持たなければ、成功できない。
 しかし情熱を持つということは、人生において残酷(ざんこく)なまでに怜悧(れいり)な一面を持つということでもあるのだ。

 ある対象に、興味や信念が向けられるとき、その周囲の空気からは熱が吸い取られていく。
 父と母は情熱的な人だった。

 私は凍えていた。
 丸子もきっと。

 中学の間は同級生に虐待(ぎゃくたい)され、今、ここまで長く私の元に家出などしているのだから、()して知るべきである。
 にも(かか)わらず、私が丸子に抱いている感情は、同類相哀れむといったものではなく、彼女に置いていかれるのではないか、という焦燥(しょうそう)……恐怖だった。

 感情は、恋愛に似ていた。
 十代にして夢破れつつある私の人生に残された熱はもう、体温を維持する程度のか弱いものだ。
 丸子と寄り添っていなければ、その限られた熱さえ失われてしまう。

 しかし、丸子はそのことに気付いていないのだ。
 唯一の自慢であった私のバストサイズが、私を嘲笑(あざわら)っていた。
 相手が男であれば、自分に分かりやすく執着(しゅうちゃく)させるためにあの手この手を尽くすことが出来るのに、私の肉体は丸子に対して、何も回答を持ち合わせていないのだった。

 いつの間にか、カラオケセットが一台も売れなければいいと思うようになっていた。
 丸子の見当違いな、販売にかける情熱が成就(じょうじゅ)する日を私は恐れた。
 彼女の成功体験が、彼女を私から引き()がしてしまう。そんな気がしていたのだった。

 何もかも話してしまおうかと、思った。
 丸子をだましていることを。
 彼女が従事しているのが、ただ人を不幸にするだけの仕事であるということを。
 私が丸子の元クラスメイトであることも、
 丸子に(あやま)りたいことを、全て吐露(とろ)するべきだろうか。



 別れは突然訪れた。
 アイドルらしく、このカラオケセットで歌と踊りを披露(ひろう)しよう、路上パフォーマンス兼、実演販売をしよう。
 そんな丸子の提案がきっかけだった。
 言われてみれば、提案されるのが遅すぎる気もするアイデアだった。
 嫌に気合いを入れた活動になった。
 フライヤーなんかも作ることになった。

 そこに、アイドル名を乗せる段になった時、私達は二人して、自分達が何という名前のアイドルだったか思い出せなくなっていることに気が付いた。あの事務所には久しく、顔を出していなかった。事務所の方も、私達二人のことを、もう所属タレントで無く、ただ(だま)されてカラオケセットを買っただけの二人としか思っていないのかも知れない。

「九百人いる学校、みたいなやつだったよね」

「景表法違反になるわよ。そんなにいないんだから」

「ゥチら二人だけの学校だね」

 その言葉を私は、凄く(うれ)しいものとして受けとめていた。
 そう言われると何だか、二人だけでパフォーマンスの計画をたてるというアイデアが急に、文化祭チックになった気がしたのだった。

 私は、一人暮らしを始める際に持ち出し出したまま()かなくなっていたエレキギターの練習を再開した。クローゼットの(すみ)に立てかけたままにしていたのでネックが(わず)かに曲がっていたものの、まだ何とか使用に()えた。(むし)ろ、私の腕の方が、ちょっと信じられない位に錆ついていたのだが、これに関しては障害にならなかった。全ては文化祭ノリ、だ。下手でも良いじゃないかと、私は全く意に返さなかった。新鮮な感覚だった。まだ両親と暮らしていた頃は、どれほど熱心に練習したところで、いつまでも人様には見せる事が出来ないような、出口の無いトンネルの向こう側にむけて歩き続けなくてはならないような、そんな気がしていたというのに。

「いつか、さ」

 カラオケセットなんて、いつまでも売れなければいい。
 そんな風に考えていた私が、一度だけ。
 一度だけ、丸子の見詰め続けている幻想に、乗っかった時があった。

「いつか、武道館とかでライブ出来たりしてね。その時になっても、このカラオケセット使っててさ。それで、私のギターで思いっきり、カラオケセットをぶん(なぐ)って、ぶち(こわ)しにして……」

 生温い缶ビールを飲みながら、明け方にそんなことを言った。
 私の言葉に、細かく三度の(うなず)きを返す丸子を見ていると、他愛(たあい)ない冗談が、熱を持ち(ふく)らんでいく気がした。

 新しいグループ名……ユニット名決めは、難航(なんこう)した。
 主に、丸子のせいで。
 シンプルに、二人の芸名を組み合わせたユニットにしようということになったのだが、丸子には芸名が無かった。
 丸子は実名で構わないと言っていたが、私は芸名で(そろ)えたい気分だった。
 部屋の隅にある、丸子の買ったカラオケセット―――路上パフォーマンスにはそれを使う予定だった―――には「& Fahrenheit」と記されたままだった。「アンド、ファーレンハイト」。私のサインのみ。フライヤーも、&の手前だけ空白のまま印刷され、いつでも手書きで書き足せるようにしたままだった。

 私は何とか、いかしたユニット名にしたいと考えていた。
 ドルチェ・アンド・ガッパーナのような()洒落(じゃれ)た名前が、私達には必要だと思っていたのだ。
 だが、カラオケセット販促(はんそく)のための改造にはあれだけアイデアを出した丸子だったのに、結局自分のための芸名は何一つ思い付けなかった。
 『アンド、ファーレンハイト』の手前は、いつまでたっても空白のまま。
 とうとう私達は路上ライブ当日を迎えた。

「らーらーうららー! るぅぉまー! ま、ま、まー!」

 原宿駅のすぐ傍、神宮橋の隅っこ、カラオケセットを地面に置いて。
 丸子は巻き舌のなり損ないをがむしゃらに叫び続けた。
 カラオケセットの音源に(かぶ)せられた、私の下手くそなギターソロが延々と鳴り響き続けていた。
 丸子は、時々舌を()んだ。
滑稽(こっけい)であるのと同時に、妙に愛嬌(あいきょう)があった。
 気付くと、人の輪が出来ていた。
 私は、丸子のボーカルに耳を(かたむ)け、ギター弾きながら、目の前の人だかりを、(ぼう)と見詰めていた。
 そして、この人達はいったい、何のために立ち止まって私達を見詰めているのだろうかなどと、一流のパフォーマーなら、才能ある夢追い人なら決して考えないであろう、失礼な事を思っていた。

 アイドルというものに求められるパフォーマンス自体のクオリティは、ストレートに言えば低いものであると思う。だが、低いからこそ……純粋なクオリティに期待されていないからこそ、技術で勝負することが大して意味を為さないからこそ、勝ちのルーチンを見定めるのが困難を極めるのだ。

 誰も、本当は何も分かっていないのかもしれないなと思いながら、私はネックの上の手を(すべ)らせていく。
 相手の中に何を見出したいのか。
 自分が興味を()かれている対象が、どんな魅力を放っているのか。
 客は、最高時には三十人程も集まっていたと思う。

 歌うのにいっぱいいっぱいだった丸子に代わり、私は観客一人一人の目を、見ていった。
 皆、丸子を見ていた。
 彼女が何者なのかを計りかねる目で、それでも、新しい歌が始まると共に、小さな頬笑(ほほえ)み浮かべて。

 中学の頃。
 あらゆる人間が、丸子に向かって抱いた憎しみと羨望(せんぼう)
 丸子の心にまとわりついていた、()まわしき青春の断片が溶かされていくのを、私は確かに見た気がしたのだ。

 私は、丸子の隣にいるのが自分なのだということすら忘れて、神聖な空間に感謝し、その一部となった。
 何かに、辿(たど)りつけたような気がした。
 予定していた公演時間は、あっという間に終わってしまっていた。
 


 そして、その時が来たのだ。

「すごいです! 私、感動しました!」

 その声が聞こえた時、私はギターをケースにしまいながら、家に帰ってからの乾杯について考えていた。
 人の輪はとっくに、跡形も無く消え去ったと思っていた。
 しかし、そこに一人、依然(いぜん)として丸子を見詰めている少女がいたのだ。

「最初は何て下手なんだろうって思ったんですけど、段々クセになってきて、離れられなくなって……上手い歌にジーンときたことはたくさんありますけど、こんなの初めてです! アイドルやられてるんですよね、まだメンバー募集とかって、してるんですか?! もしメンバーになれるなら、私、どんなことでもします!」

 可愛らしい少女が、丸子の元に()け寄って来る。
 私は、丸子と暮らした時間の中で、私以外にこんなにも丸子に接近する人間を、初めて見た。
 パフォーマンスの疲れから、私の心臓は高鳴っていた。
 その高鳴りに、不穏なものが混じり始めていると、私は中々気が付けなかった。
 カラオケセットにサインされた文字が、視界の端に映った。
 アンド、ファーレンハイト。
 私の名の前にぽっかりと開いた空白が、一気に私の警鐘(けいしょう)を鳴らした時、丸子が私の首筋に飛びついて来た。

「や、やった!」

 耳にかかる吐息の熱さは、肺腑(はいふ)に残った歌の残滓(ざんし)だろうか。

「やったね、イオ! 今度こそ、勧誘成功するかもしれない!」

 丸子の歓喜に、私は頭を撃たれたようになった。
 丸子は、宿願が(かな)ったと飛び跳ねていた。
 そして彼女は少女に近寄り、その両手をとって大きく振った。

「これで、ようやく神3(スリー)……ゥチらのグループに入るのは簡単だょ。この……」

 少女の年齢は、私や丸子より幼く見えた。
 中学生半ばくらいだろうか。
 カラオケセットを指差そうとした丸子の手首を、私は両手で捕まえた。
 割れ物が床に落ちようとするのを受け止めるような、(ほとん)ど生理的な反射だった。

「……イオ?」

 私は、ギターも、カラオケセットも、呆然とする少女も置き去りに、丸子の手を強く引いて、走って行った。
 アパートの部屋に帰り、ドアを閉める。
 狭い玄関。
 (くつ)さえ脱がぬまま、これまでで一番近くにある丸子の顔に向けて、私は言った。

「出て行って」

 丸子は、私が何を言っているのか、理解できない顔をしていた。

「今すぐここから出て行って! 荷物全部(まと)めて、目の前から消えてよ! 貴女(あなた)のことが嫌いになったの!」

丸子は繰り返し、私に問うた。「どうして」と。

「ゥチが今日までカラオケセット、全然売って来れなかったから……?」

 神宮(じんぐう)(ばし)での、丸子の喜び様。
 ようやく、自分の価値を私に対して証明できるかもしれないと、そんな気持ちも含まれていたに違いないのだ。

 悲しげな丸子の声を、私は無視した。
 半狂乱になりながら、部屋にあった丸子の私物を手当たり次第に投げつけ、追い出した。

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