第一章 ギャルサーの神に向かって撃て その2‐2

作者:白乃 友

ギャルスレイヤー。
 正体はこの俺、()()(くら)()()。十六歳の男である。

 七歳差の姉がいた。
 奈々倉丸子(まるこ)という名だ。

 一言で言えば、『「ゥチの入る前に風呂使わないで、きもいから」などと口走る姉』。

 二言目を許されるならば、『「ゥチの入った後、お風呂使うの禁止。何やってんのかぐらい、音で、わかるんだからね」などとあらぬ疑いをかけて、俺にシャワーしか使わせてくれなかった姉』。

 三言目まで聞いて下さる心の広い方には、さらにこんな説明もオマケ出来る。
『俺に対し、シャワーを浴びながら用を足しているのではと、これまたあらぬ疑いをかけた次の日の朝、寝ている俺の(いん)(けい)を切り落としにかかって来た姉』。その際丸子は「アロマ・ディフューザーが欲しかったんだもん……!」と、父に泣きながら意味不明の弁明(べんめい)をし、そして、許された。

 父はとにかく、姉に甘かった。
 というのも、俺が小学生の時分、丸子は高校生でありながら、既にほとんど自立していたのである。海外を飛び回る仕事に熱中し、家を空けることの多かった父のことである。世間一般の高校生に期待される水準を超え、家を守る大人としての役割を果たしてくれていた丸子に、親として与えることのできる追加報酬(ほうしゅう)が、寛容(かんよう)さ以外に無かったのだろう。

 おバカタレント枠で、芸能人デビューしていた。
 芸能界デビューへの道筋(みちすじ)はまさに、ティーンガールの夢見る典型的なシンデレラストーリーだと言っていいだろう。
 原宿で三度のスカウトに会い、一度目と二度目はそれぞれ、空気(くうき)清浄機(せいじょうき)と自宅カラオケセットを買わされ帰ってきただけだったが、三度目にして、あの女はとうとう当たり籤を引き当てやがったのである。

 読者モデルから、事務所所属までが一年。テレビに出始めて、熱湯(ねっとう)風呂(ぶろ)までが半年。
 芸能事務所所属からも、専属モデルという形は取らなくなったものの、ファッションモデルの仕事も続けていた
 と言うより、止めたいと言っても、止めさせてもらえなかっただろう。

 贔屓目(ひいきめ)かやっかみかと言われると返答に困るが、俺の口から、姉の、女としての美しさを正確に伝えることは不可能なのだと思う。
 しかし、社会が彼女に付けたコピーなら、幾らでも(そら)んじることが出来る。
 (いわ)く、『百年に一度のギャル』だと。
 百年前にギャル文化はなかったろうに。
 大仰なコピーである。

 確かに才能の片鱗(へんりん)については、弟として、俺にも心当たりはあったのだ。
 姉の中学時代、小学生に成り立ての俺の目から見ても、姉は中学校で浮いている方だった……と思う。
 きっかけは、姉の身体がその他の女子に比べ、成熟していたことだった。
 といっても、トランジスタグラマーなどという男受けする体型ではなく、この年頃の女子にしては珍しく、大抵の女子を尻目に、足の方が圧倒的に胴体より長かった、というだけである。

 たったそれだけで、姉の中にある何かが(弟として、その『何か』が遺伝子であるとは信じたくないけれど)目覚めてしまったらしい。
 中一の夏休み明け。姉は、制服のスカートに、腰までのスリットを入れて登校した。切れ目にレースを入れてはいたものの、当然、かなりの物議を(かも)したらしい。父が海外勤めで、母が丁度(ちょうど)入院していた為、保護者を呼び寄せることの出来ない学校側は、ならば保護者から学校に乗り込まれることもあるまいと逆手にとり、丸子は全校集会で()るしあげられることとなった。

 以来、丸子はクラスでの立場どころか、学校内での立場さえ、危ぶまれることとなってしまった。どうも、三年通して手酷(てひど)く嫌われ続けたらしく、姉が卒業まで愛用していた英単語帳は、最高学年を迎える頃には放送禁止用語帳になっていた。

 嘘だろう、と、今なら言いたくなる。
 丸子は全校集会で何かしら、一丁前に言い返していたというが、翌日からきちっと、スリットは()い合わせてから登校していた。
 ここまでで話が終わったなら、記憶の持ち主を深夜にのたうちまわらせる類の若気の至りで済んでいただろう。

 しかし、丸子の本領はここからだった。
 思うに丸子は、自分の及ぼした影響を、持ち前の二十になるまで失われなかった子どもの直観、あるいはもっと残酷な感性でもって、予見していたのだと思う。
 丸子自体は、何もしなかった。
 しかし、秋が深まり、肌寒さを意識し始める十月。
 丸子の通っていた中学では、スカートにスリットを入れるのが、流行していた。

 念のため注釈(ちゅうしゃく)しておくが、当時、全国の中学生女子達にたまたま広く流行していたと言うわけではなく、丸子の通っていた中学のみにおける、流行である。
 ただし、完全なる丸子の模倣(もほう)というわけではなく、スリットの深さそのものは、スカートの中ほどまでだったのであるが。
 恐らく、丸子の通う中学の女子達は、あからさまに丸子の後追いをしていると、真似をしていると思われかねない時期が過ぎ去るのを、待っていたのだろうと思う。カースト下位とされている丸子に影響を受けたのだと言うことを、誰しもが認めたがらなかったのだ。

 (うそ)だろう、と、今なら言いたくなる。
 そして丸子は、そんな同年代の少女たちを嘲笑(あざわら)うように、クリスマスシーズン、うなじから(ほお)にかけて、細いタトゥーシールを張って登校を始めたのである。
 周囲の女子達は何を思っただろうか。
 まさかまた私達は、この女のとんでもない格好を、日を追うごとに真似したくなってしまうのだろうかと、(おび)えただろうか。
 だとしても、逃げようはなかったのだけれど。

 丸子は、表面上は、奇特な格好、発言、振る舞いの三拍子を備えた()れものとして、三年間を送った。だが、ガラパゴス化を続ける姉の通う中学を外から見ていた他の中学の生徒達は、姿形の見えない流行の発信源を、密かに都市伝説に祭り上げていた。

『第三中のファッション・フィクサー』

 丸子は高校も続けて、似たような生き方を(つらぬ)こうとしていたのかもしれない。
まるで、女子たちに天啓(てんけい)を与え導く、超常的な存在のように。決して日とはならず、影に徹して。
 しかし、芸能界の重力は、奈々倉丸子の質量を逃さなかった。

 そこからはとんとん拍子に、丸子は出世してしまった。
 常人なら、人の子に生まれ、芸能界へ召しあげられるものだろうが、丸子の場合はどこか、元いた世界に帰って行ってしまったかのようだった。
 実を言うと、俺は丸子のそんな生き方が、あまり好きでは無かった。
 すっぴんで過ごすことを許された季節さえ、姉はメイクの特訓に捧げていた。
 元の顔も、どう考えたって悪くないのだからそのままの姉さんでいてと、幼い俺は何度か懇願(こんがん)した。髪を()め着飾ろうとする姉が、自分の知らない人間に成りたがっているみたいに思えて、恐かったのである。丸子に、チャラついた人間達との付き合いが増えるにつれ、そんな不安は加速した。

 しかし、姉は止まってくれなかった。
 その時感じた一抹(いちまつ)(さび)しさが、丁度ギャングエイジと重なったせいで、俺は丸子に、どこかツンとした態度を取り始めることになる。
 丸子も丸子で、それくらいの時期から、俺のことを明確に嫌悪(けんお)し始めた。
 ギャルであった丸子に反抗していた俺は意図して、服装に全く気を遣わなかった。

 才能を開花させていく丸子が俺を遠ざけ始めることは、摂理(せつり)であった。
 姉の進撃は止まらず、芸能活動に時間を取られるようになってなお、モデルとしての躍進(やくしん)も続けていた。
 ガーリーだろうがレディだろうがストリートだろうが、あらゆる服が、丸子に着られたがった。
 着せられた服により、別人に見えるような変わり映えは見せない。しかし、奈々倉丸子は奈々倉丸子のまま、筋肉の(くせ)から変化して、衣服を体の一部に見せ、まるでその服を着て生まれ、今まで育ってきたような風格を(かも)しだすのである。

 あるバラエティ番組で、「奈々倉丸子、身長変動説」という企画があった。奈々倉丸子が、来ている服により、あまりにも雰囲気が変わることから取り上げられた、冗談交じりの企画であった。結果、放送されることはなかった。冗談では済まなかったのだ。実際、ロリータ系のファッションに身を包んだ丸子の身長は、七センチ(ちぢ)んでいたのである。

 ここまでくれば、もはや伝説。
 ということで、雑誌の付けた二つ名が、『ファッショニスタ・ネイティヴ』。
 飛ぶ鳥落とす勢いにして、右に出るもの無しな丸子。
 だが、そんな丸子のギャルとしての破滅は、突然だった。

 丸子が、二十歳の誕生日を迎えてしばらくたった時。
 シンプルだ。家出したのだ。
 そしてそのまま、失踪した。

 渡る世間に疲れた母親なら、「ちょっとスーパーに買い物に行って来る」と言い残し帰って来ないのが定番だ。
 ギャルである丸子の場合は、「ちょっと原宿に買い物に行って来る」だった。
 かくして、俺のその後の人生は、無茶苦茶を強いられることになるのである。

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