ヒルデガルドの冒険【第1回】

作者:鷹山誠一

「ふんふんふーん」
 ヒルデガルドは鼻歌混じりに皮袋に荷物を詰め込んでいた。
 年は十代半ばほど、気の強そうな瞳が印象的な、おさげ髪の可愛らしい少女である。
 そのあどけなさが多分に残る容姿からは想像もつかないが、《狼をまとうもの》(ウールヴヘジン)のエインヘリアルであり、《(はがね)》最強と名高い精鋭(せいえい)部隊『親衛騎団』の中でも一目も二目も置かれる優れた戦闘能力を持つ。
 今回、《鋼》大宗主周防勇斗(すおうゆうと)が、《(ほのお)》宗主織田(おだ)信長(のぶなが)との会談に向かう護衛に抜擢(ばってき)されたのも、その力量を買われてのことだった。

「ふふふっ、好機到来ね。大宗主様にぜひあたしの力を見てもらわないと」
 つぶやき、にま~っと口元が緩むのを、ヒルデガルドは自覚する。
 その姿を、否、その覇気(はき)を目の当たりにして以来、すっかり勇斗に心酔(しんすい)しているヒルデガルドである。
 勇斗の覚えめでたくなれば、おそばに侍れる。そうなればいずれ、寵姫の一人にもなれるかもしれない。
「『ヒルダ、ふふ、ういやつだな。俺のものになるがいい!』とか言われちゃったりして……むふふふふ、きゃーっ! あいたっ!」
 ゴツンッ! と頭部に激痛が疾り、ヒルデガルドが悲鳴を上げる。
 この思わず目に涙が浮かぶ一撃には、覚えめでたいといえるほどに覚えがあった。
「い、いきなりなにするですか、ジークルーネお姉様!」
 叫びつつ、ヒルデガルドが後ろを振り返ると、ヒルデガルドの姉貴分にして親衛騎団の長ジークルーネが、なんとも冷たい眼差しで見下ろしていた。
 途端、最初の威勢もどこへやら、(またた)く間に身体がいすくむヒルデガルドである。
「あ、あの、あたし、また何かやらかしました?」
 思わず卑屈(ひくつ)に問い返すのは、もはや身についた習性であった。
 ヒルデガルドも、腕には相当に自信はあるのだが、この化物には敵わないことも、そして逆らっても、こっちが痛い目を見るだけだということも、身をもって思い知っていた。
「ああ、今まさに、な。殴られる前に気づけ、未熟者(みじゅくもの)
「うぐっ」
 きっぱりと言いきられ、ヒルデガルドは顔をひきつらせる。
 死角である背後からの接近、しかもジークルーネほどの達人が気配を消しながらというものに気づけなど、無茶を言うなと言いたいところではあるのだが、此度の会見への同行は、まさにその気配察知能力を買われてのことなので、下手に文句を言おうものなら解任されかねない。
 グッと()(だま)るしかなかった。
「やれやれ、本当に大丈夫なんだろうな?」
 ジークルーネがなんとも重くるしい()(いき)とともに訊いてくる。
 武勇のみならず、勇斗への無二の忠誠(ちゅうせい)ぶりでも知られる彼女である。
 勇斗不在の間、代わりに全軍の指揮を取れるのは彼女ぐらいであり、今回彼女は同行できず、相当に心配なようだった。
「大丈夫ですって! 今回はお姉様が相手だからちょっと不覚を取りましたが、旅の間はちゃんと注意しますから」
「その妙な自信が、一番心配なんだがな」
 額を押さえ、ジークルーネは二度目となる大きな溜め息をつき、
「ヒルダ、わたしやお前は替えはきくが、父上はそうはいかん。あの方は《鋼》にとってなくてはならぬお方だ」
「……はい」
 勇斗がなくてはならぬ存在だと言うことに関しては異存はないが、替えがきくといわれたのには少々カチンときたヒルデガルドである。
 とは言え、自分より強いジークルーネもと言われては、不承不承ながら頷くしかない。
「どうもお前は功を焦ってドジを踏むことが多いからな」
「うっ」
「父上に自分を売り込むことにかまけて、敵の襲撃に気づかなかったとか、普通にありそうだからな」
「そ、そんなことないですよ」
 言いつつも、ヒルデガルド自身、普通にありそうだと思ってしまった。
 基本的には自信過剰(かじょう)な毛のある彼女だが、まさにそのことを考えていて周囲の警戒を緩めたのはつい先程のことである。
 さすがに多少、心にくるものがあった。
 そして、その動揺(どうよう)を見逃すほど、ジークルーネは甘い上司ではない。その鷹を思わせるような鋭い双眸(そうぼう)が、さらに疑わしげに細まる。
「いいか? 《炎》との会見は、《鋼》の今後を左右する重要な交渉だ。雑事で父上を(わずら)わせるな。脅威(きょうい)は父上に気づかれぬよう排除しろ。快適な旅にすること、それがお前の最重要任務だ。いいな?」


「あ、改めまして! 親衛騎団長ジークルーネが妹分、ヒルデガルドです。ま、まだまだ新人でいたらぬところもあると思いますが、よろしくお願いいたします!」
 翌朝、勇斗に会うなり、ヒルデガルドは開口一番、深々と頭を下げた。
 初対面が失禁しているところという最悪の出会いをしている。礼儀正しく、そのあたりの印象はなんともしても払拭しておきたいところであった。
「ん、おお。俺も剣の腕はからっきしだから。こちらこそ面倒をかけると思うがよろしく頼むな」
「は、はいっ!」
 勇斗の返しに、ヒルデガルドはピンッと背筋を伸ばして答える。
 いかにも気さくな軽い感じの表情と口調ではあったが、その奥に一本筋が通っているというか、重厚な芯のようなものをはっきりと感じた。
 このあたりは、さすが襲名二年で、弱小氏族だった《狼》をユグドラシル有数の大氏族へと急成長させた男の貫禄なのだろう。
「あなたのことはルーネから聞き及んでおりますわ。将来有望だと。頼りにさせていただきますね」
 勇斗の傍らに立つ金髪の女性が、ふんわりと優しげに微笑みつつ握手を求めてくる。
 勇斗の護衛兼副官を務めるフェリシアだ。
 金髪碧眼の、ジークルーネに勝るとも劣らない美女である。あちらは冷たく透明感のある雪のような美しさだが、こちらは柔らかく暖かな陽の光を思わせた。
「よ、よろしくお願い致します」
 手を握り返しつつ、ヒルデガルドはほほをひくつかせた。
 ヒルデガルドもそれなりに容姿には自信はあるのだが、さすがに彼女が相手では分の悪さを感じずにはいられない。
 まったくさすがは大宗主である。正妻である美月をはじめ、周りに美女が揃っている。
(なんの! あたしはまだ発展途上! そのうちあたしだって……)
 なんてヒルデガルドが内心で闘志を燃やしていると、
「みんなおっはー!」
「みなさん、おはようございます」
 明るい笑顔で天真爛漫(てんしんらんまん)なほうが姉のアルベルティーナ、澄まし顔でそっけないのが妹のクリスティーナ。
《鋼》傘下(さんか)の氏族の一つ《爪》の宗主ボドヴィッドの令嬢であり、ヒルデガルドより年下、すなわち発展途上にして、美貌(びぼう)的にも極めて将来有望な二人だった。
「おはようございます。アルベルティーナお姉様、クリスティーナお姉様」
 丁寧な言葉とともに、ヒルデガルドは恭しくお辞儀(じぎ)すると、アルベルティーナがぱぁっと目を輝かせた。
「おー、ヒルヒル! そういえばヒルヒルもこの旅に同行するんだったねー」
「はい。まだまだ新参の未熟者の身ではございますが、皆様のご迷惑にならぬよう粉骨砕身(ふんこつさいしん)、任務に務める所存です」
 ヒルヒルというなれなれしい呼ばれ方に、内心ピキッとは来たものの、ヒルデガルドはなんとかこらえて返す。
 双子とジークルーネは共に勇斗を親とする姉妹であり、ジークルーネの妹分であるヒルデガルドとの関係性も、一応、姉妹となる。
 とは言え、双子は年下とはいえ大宗主周防勇斗の直盃を頂いている幹部、自分よりはるかに目上の存在である。滅多な口はきけなかった。
「ふふふ、今からそんなに力んでおられると、いざというときに疲れて身体が動かなくなりますよ」
「……はっ、気をつけます」
 クリスティーナの言葉に、小さく頭を下げる。
 その程度でどうにかなるような鍛え方はしていないと言いたいところだが、繰り返すが目上の存在である。
「どうです? まずは水でも飲んで肩の力を抜いては……あっ、ごめんなさい」
「~~~~っ!」
 そっと気まずそうに顔を背けられ、ヒルデガルドは思わず下唇を噛み締める。
 もちろん、いい性格をしたクリスティーナのことである。謝罪の気持ちなど(つゆ)ほどもあるはずなく、失禁騒動をネタにいじってきたのは明白である。
 だが、何度も繰り返すが、目上の存在である。
 耐えるしかないのが下っ端の辛いところであった。
(我慢、我慢よ、ヒルダ。この護衛でしっかり手柄を立てて一歩一歩……ひっ!)
 瞬間、背後から伝わってきた重々しい足音に、ヒルデガルドの全身の毛がそば立つ。
 この気配には、覚えがあった。
 親衛騎団に入団以来、ジークルーネに勝るとも劣らぬほどに、恐怖の対象でもあった。
 名をヒルドールヴ。
 ヒミンビョルグ山脈の高地を根城にする獰猛(どうもう)な巨狼である。しっかり(しつ)けられているため、人間は襲わないとの話ではあるが、それでも怖いものは怖かった。
 ヒルデガルドの中に眠る『獣』も、この本物の野獣の前では恐怖を覚えている。
「おー、きたきた。今回の会談の秘密兵器。よろしく頼むぜ、ヒルドールヴ」
「♪~~」
 勇斗が言葉とともに頭を撫でると、ヒルドールヴは目を閉じ、心地よさそうにされるがままになっている。
「うわっ、とと」
 しばし撫でると、お返しとばかりに今度はヒルドールヴが勇斗の顔を()めだし始める。
 勇斗は楽しそうに笑っているが、ヒルデガルドにはぞっとしかしない光景だった。
 あの獣は、その気になれば一噛みで人間の頭ぐらい噛み砕けるのだ。
 そんな化物のアギトの真ん前で笑える度胸は、ヒルデガルドにはない。
 つくづく大氏族を束ねる男は格が違うと思い知る。
「ん、今度はそっちか? よしよし」
 続けて、勇斗は腹ばいになったヒルドールヴを撫でていく。
 ユグドラシル広しといえど、伝説の巨狼に自ら降参・服従の姿勢を躊躇(ちゅうちょ)なく取らせる人間は、この黒髪の少年ぐらいだろう。
「……この人に護衛とか、そもそもいるんだろうか?」
 思わず自分の存在意義を疑い始めるヒルデガルドであった。

※※※※※ 次回更新は4月4日(火)予定 ※※※※※
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