ヒルデガルドの冒険【第2回】

作者:鷹山誠一

「あふっ」
《炎》との会見場所であるシトークに向け出立して二(こく)ほど、退屈さのあまり、ヒルデガルドの口からは我知らず小さなあくびが()れていた。
 退屈である。
 ただただただただ退屈である。
 視界一面に広がる草原は、一向に代わり映えしない。遠くにそびえるスルースヴァンガル山脈も、見る人が見ればその壮大さに圧倒されるそうだが、興味もない。
 この旅の間になんとか勇斗とお近づきにと考えはしたものの、対象は背後を走る荷馬車の中である。
 ヒルデガルドが抜擢(ばってき)されたのは索敵(さくてき)のためなので、当然、先頭を進むことになり、これでは会話のしようもない。
 後ろを振り返っても、(ほろ)のせいでその姿も見えない。
 本来は索敵任務に集中するべきなのであろうが、正直、飽きた。
「あーもう、敵でも(おそ)ってこないかしら」
 退屈さのあまり、ヒルデガルドは護衛にあるまじきことをつぶやき、
「あらあら、今の発言は聞き捨てなりませんよ~?」
「うぐっ」
 隣を並走していたクリスティーナに、にま~っとした笑顔を向けられ、今更ながらにヒルデガルドは自分の失態に気づく。
 ヒルデガルドは姉のアルベルティーナ以上に、このクリスティーナが苦手だった。
 というのも――
「ヒルデガルド殿が今回の旅に抜擢されたのは、あくまで索敵。敵に襲われないようにすること、でしょう?」
「うっ、は、はい」
「ジークルーネお姉様にも、お父様のお気を(わずら)わせないようと厳命されおりますよね?」
「な、なぜそれを……っ!?」
「ふふっ、ワタシはお父様の『耳』ですから。もう少し真面目に取り組まないと、出世など夢のまた夢ですよ?」
「うぐっ、おっしゃる通りで」
 一分の隙もない正論に、ヒルデガルドはうつむくしかない。
 だが、ちらりと視界に映ったクリスティーナの顔は、無表情を装ってこそいたが、その目に明らかに愉悦(ゆえつ)があったことをヒルデガルドは見逃さなかった。
 ただの注意なら我慢(がまん)して聞けもするが、明らかにこちらをいじって楽しむつもりなだけの説教である。
 クリスティーナは《風を打ち消すもの》のエインヘリアルであり、先頭に立っているのはその能力で逆風を緩和するためらしい。姉は逆で、追い風を作る能力を持つ。
 それで列の前後で離れ離れになっており、どうも鬱憤(うっぷん)()まってるらしく、ヒルデガルドを体のいい八当たり対象に定めたらしい。
 格好の餌を与えてしまったのが自分の脇の甘さだというのはわかるが、それでもまったくたまったものではなかった。
「だいたいヒルデガルド殿は……」
「おーい、みんな。そろそろ昼飯にするぞー」
 さらにクリスティーナが追撃を仕掛けようとしたところで、後方より勇斗の声が響く。
 思わず、ほっとヒルデガルドは安堵(あんど)の吐息をつく。
 このままクリスティーナの毒舌を浴び続けていたら、精神力をすり減らされ、本当に任務に支障をきたすところだった。
「あー、あたし、下っ端なんで準備の手伝いを……ん?」
 言いかけたところで、ヒルデガルドの鼻が、()()()()を嗅ぎ取る。
 ヒルデガルドの持つ《狼をまとうもの(ウールヴヘジン)》は、彼女に狼と同等の力を与える。その鋭敏(えいびん)な嗅覚が今、明らかに、別の集団の臭いを捉えたのだ。
 耳を澄ませば、何を言っているかまでは聞き取れないが、はるか遠くで人の声がするのもわかった。
「クリスティーナお姉様、わたし、ちょっとお花摘みにいってきますね。ついでに一つ()()もできたのでそれも済ませてきます」


「ひーふーみー……五人かぁ。旅商人ってわけでもなさそうねぇ」
 岩陰に隠れつつ、ヒルデガルドははるか遠くの人影を数える。
 豆粒ほどの大きさであるが、彼女の視力をもってすれば、視認は容易だ。
「おい、ここでいいのか?」
「ああ、《鋼》と《炎》の大宗主がシトークで会談するらしい」
「ふむ、それが本当ならこのあたりを通る、か」
 ヒルデガルドの耳をもってすれば、この距離でも男たちの会話を容易に聞き取れる。
 本人は武功(ぶこう)によって手柄を立てることを切望しているため気づいてもいないが、この斥候任務にこそ、彼女は天性の才能があると言えた。
「ふむ、黒、ね。……っ!?」
 ザッとすぐ背後で響いた足音に、バッとヒルデガルドは慌てて振り返り、その姿を確認してほっと胸を撫で下ろす。
「アルベルティーナお姉様でしたか。驚かさないでください」
「えへへー、ごめんねー」
 あどけなく笑うアルベルティーナだが、ヒルデガルドは内心舌を巻いていた。
 ヒルデガルドの感覚は、妹のクリスティーナの潜伏をも察知したものだが、どうやらのほほんとした性格とは裏腹に、隠形(おんぎょう)の技術は妹よりも上らしい。
 ジークルーネがアルベルティーナのことを天性の暗殺者と評していたのも、大いに納得するヒルデガルドである。
 過去、感覚を()ぎすませていた状態でここまで誰かの接近を許した記憶は、ついぞなかった。
「ふむふむ、あの人達か、妙な気配は~。あんま旅商人っぽくはないね~」
 陽を遮るように目の上で手を傘にしつつ、アルベルティーナは男たちの様子をうかがう。
 どうやら彼女も、その《力》によりなにかしら察知してここに来たらしい。
「はい、彼らの話に聞き耳を立ててみましたが、どうにも怪しい連中です」
「へ~……ってこの距離で聞き取れるの? アタシでもこの距離は難しいのに~」
「ええ、まあ」
 わずかに口元が緩むのを感じつつ、ヒルデガルドは答える。
 先ほど難なく背後を取られただけに、やられっぱなしは(しゃく)だった。
「彼ら、大宗主様がシトークに向かうことを知っていました」
「ん? それがなんで怪しいの?」
「へ?」
 問い返され、ヒルデガルドの口から思わず間抜けな声が漏れる。
 シトークでの会談は現在、《(はがね)》にとって最大級の極秘事項である。少ない供で大宗主が敵地を移動しているのだ。断じて漏らすわけにはいかないものだ。
 にもかかわらず、それが書簡(しょかん)が届いた翌日だというのに、あの連中に伝わっている。
 これが怪しくなくてなんだというのか。
「え~っと」
「ん? なに?」
 まじまじとヒルデガルドがアルベルティーナの顔を覗き込むが、彼女はきょとんとした顔で小首を傾げる。
 この顔は、演技ではない。
 明らかに、何もわかっていない顔である。
(なんでこんなアホが大宗主様の直盃を頂いてるのよー!)
 心の中で雄叫びをあげるヒルデガルドであるが、彼女の苦悩はまだ始まりにすぎなかった。
「クリス~、なんかお父さんがシトークに向かうこと知ってるんだって~」
 そんな中も、アルベルティーナは独り言をつぶやく
 とりあえず周囲を確認するが、クリスティーナらしき人物は視界になく、気配も感じられない。
 本当に頭大丈夫だろうかとヒルデガルドが疑いかけたが、
「わかった~、じゃあまあ、ヤっちゃうねー」
「えっ!?」
 言うや、アルベルティーナが疾風のごとく男たちのほうへと駆けていく。
 (はや)い。
 ヒルデガルドも足の速さでは誰にも負けないとさえ思っているが、それに勝るとも劣らぬ健脚である。
「あーもう!」
 ガシガシっと頭をかきむしるや、ヒルデガルドもアルベルティーナの後を追う。
 自分の任務は索敵だ。
 敵を見つけたら報告に戻るのが筋である。
 が、アルベルティーナはその人柄からか、勇斗をはじめ、《(はがね)》の幹部たちに大層気に入られている。
 もしここで彼女を見捨てて戻ろうものなら、それで彼女に万が一のことでもあれば、後が怖い。
「うっ!? な、なにや……」
 アルベルティーナは男たちの背後に忍び寄るや、その一人の心臓にぐさりとナイフを突き立てる。
 この距離をあっという間に詰めた俊足も去ることながら、五人の男たちの誰一人としてアルベルティーナの接近に気が付かなかったその静粛性(せいしゅくせい)に恐れ入る。
「ムッ、ムスカ!? こども!? むっ!」
 敵に発見された瞬間、アルベルティーナはわずかに身体を右に傾けそちらに移動すると思わせてから、超高速で左に跳ぶ。
 あれではおそらく、男には視界からいきなり消え去ったように見えたことだろう。
 続けて大地を蹴ってさらに方向転換。男の首元へとナイフは吸い込まれていき――
 キィン!
 と、甲高い音とともに相手の持つ剣に弾かれる。
「うそ!?」
 これにはアルベルティーナも意外だったらしく、驚きとともに目を白黒させる。
 無理もない。今のはヒルデガルドの目から見ても()()れとする動きだった。
 それを見切り、防ぐ。
 とても只者とは思えなかった。
「ふんっ!」
「ととっ」
 男が返しの刃でアルベルティーナに斬りかかり、彼女は後ろに飛び退いてかわす。
「よくもムスカをやってくれたな!」
 もう一人の黒頭巾(ずきん)の男が、アルベルティーナに襲いかかる。
 その太刀筋は、先程の男以上に鋭い。
「うわわ」
 慌てた声をあげつつも、アルベルティーナはしゃがみこんでその一撃も回避する。
 そこへ容赦なく、黒頭巾の男が蹴りを放つ。
「うひぃっ!」
 ぴょんっと横っ飛びしてその一撃からも逃れる。
 本当にすばしっこい。
「おい、お前ら、気をつけろ。ただのガキではない!」
 黒頭巾の男が忌々(いまいま)しげに声を張り上げる。
 だが、それはヒルデガルドには実に好都合だった。
 まず、誰かこの一味の頭なのかが把握(はあく)できた。
 くわえて、あまりにアルベルティーナの子供離れした動きもあり、その一声で敵の意識がアルベルティーナに向かってくれた。
 すなわち、もう一人の敵の存在に彼らは気づいていない。
 ヒルデガルドは腰のナイフを静かに抜き放ち、敵の後頭部目掛けて投擲(とうてき)する。
「がっ!?」
 完全に死角からの一撃は、狙い通りに男の頭を貫く。
「なに!? まだ他にも!? ぐあっ!」
 男たちの意識が今度はヒルデガルドにどうしても引きつけられる。
 そしてその隙を見逃すアルベルティーナではない。すかさず敵の一人の懐に飛び込み、心臓を一突きする。
 あどけない顔をして、実にえげつなかった。
「これで二対二、ね。アルベルティーナお姉様、そちらはお願いしますね。この黒頭巾はあたしがお相手させて頂きます」
「え~、そっちのほうが強そうで楽しそうなのに~」
「この男がどうも、この一味の頭目のようでしたので。捕縛(ほばく)するなら、腕力的にあたしのほうが適任かと」
「むぅぅ、そっかぁ。わかった~」
 若干不服そうに眉をひそませつつ了承するアルベルティーナに、ヒルデガルドはぺろりと舌を出す。
 アルベルティーナはその体術こそ神がかり的なものがあるが、腕力などは普通のこどもと大差ないと聞いている。今の言葉に嘘はないが、一方で全てでもない。
(ふふふっ、頭を捕らえれば大手柄よね)
 こういうこずるい打算は早いヒルデガルドであり――
 そして、大抵の場合、その打算の結果、悪い目を引き当ててしまうのが彼女であった。
 キィン! キィン! キィン!
「うわったた!?」
 黒頭巾の男の攻撃の嵐に、ヒルデガルドは思わず後ろにたたらを踏む。
 今のわずかな打ち合いだけで、はっきりとわかった。
 剣の速さも重さもヒルデガルドが上回っていたが、こと技量に関してはるかに相手が彼女を凌駕(りょうが)している。
「な、何者よ、こいつ……」
 ヒルデガルドは決して弱くない。
 実際、《(はがね)》最強の呼び声高い親衛騎団の中でも、ジークルーネ以外の相手に不覚を取ったことはただの一度もない。
 その彼女をこうもあっさり圧倒するなどエインヘリアル以外考えられない。
「ふふっ、俺はガキ相手にも容赦(ようしゃ)はせんぞ」
 ニィッと口の端を吊り上げ、黒頭巾の男が追撃をしかけてくる。
「なにをっ、ふぬ、あうっ、ととっ!」
 ヒルデガルドも負けじと応戦するも、数合のうちに劣勢に追い込まれてしまう。
 繰り返すが、一撃一撃は決して速くもなければ重くもないのだ。
 だが、その()()()が異様に速い。このため打ち合いになると、競り負けてしまうのである。
「つぅっ!?」
 そしてついに、頭巾の男の剣先が、ヒルデガルドの左肩を切り裂く。
 幸い、傷は浅く、戦闘に支障はないが、内心の(あせ)りは増す。
 思考が頭の中でぐるぐる回って、打開策が浮かばない。
「ふん! はっ! せいっ!」
「うわた! とっ、ひっ!?」
 そうこうしている間にも、どんどん黒頭巾の男の攻撃は鋭さを増し、ヒルデガルドは追い詰められていく。
(や、やばい~!? このままじゃ……ううっ、もう一か八か『獣』を……)
 ヒルデガルドには、心の内に飼う『獣』を解き放つことで、身体能力を大幅に引き上げるという特技がある。
 もっとも、これは理性を失う諸刃(もろは)の剣であり、先にはそれで大失敗したこともあり、禁じ手としていた。
 だが、今はそんなことを言っていられる状況ではない。
 いよいよ覚悟(かくご)を決めかけたところで――
 不意に攻撃が止み、黒頭巾の男が後ろに大きく跳ぶ。
 一拍遅れて、彼が元いた場所付近にナイフが突き刺さる。
 投げたのはアルベルティーナである。その足元には先程まで相手していた男を組み伏せている。
「ちっ、不甲斐ない部下どもだ。さすがに二体一は厳しいな」
 吐き捨て、男はくるりと踵を返し、逃走にかかる。
「まっ……」
 追いかけようとはしたものの、ヒルデガルドの足は動いてくれなかった。
 脚力だけなら、ヒルデガルドが明らかに上だ。
 だが先の攻防で、手も足も出なかったことは思い知らされている。
 追いついたところで、返り討ちにあうのが関の山である。
「う、う、うううううっ! 畜生ーっ!」
 あまりの悔しさに、ヒルデガルドはダンダンと地面を踏みしめ、天に向かって()えることしかできなかった。
 まごうことなき、負け犬の遠吠えそのものだということに、彼女は気づいていない。

※※※※※ 次回更新は4月7日(金)予定 ※※※※※
※※※※※最新13巻も7月1日に発売決定!!※※※※※

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