桜色のレプリカ 前日譚 前編

作者:翅田大介

ひらり、と。
 目の前にひらひら舞い落ちてきた布切れを反射的に受け止めた。

「…………お約束的なブツじゃないよ、ね……」

 恐る恐る広げてみる。お約束的な何かかもしれないと警戒したが、可愛らしくはあるがごく普通のハンカチだった。

「……ま、そうそうパンツやブラが落ちてくることなんて無いよね」

 物語に影響されすぎだと苦笑しつつ、どこから落ちてきたのかと周囲を見回す。
 新しい〝職場〟の敷地(しきち)を探検しようと気の向くまま並木道に添って歩き回っていたが、いつの間にか『学生寮』にまで歩いてきていたらしい。
小奇麗(こぎれい)なレンガ造りの、レトロな雰囲気の三階建ての建物。その二階の一室、ちょうど僕が立ち止まった直上の窓が開き、ゆらゆらとレースのカーテンが()れている。

「…………」

 僕はここまで、青々と茂るイチョウ並木を歩いてきたが、ちょうとその一本が開けられた窓へ手を差し出すように枝を伸ばしていた。
 いかにも『登ってきて足場にしろ』と言わんばかりの、一際立派な枝振りだ。

「……その手には乗らないぞ」

 木に登ってあの枝から拾ったハンカチを返そうとして何故か着替え中のヒロインとばったり顔を合わすのだろうが、そんなお約束な展開に乗ってやるものか。
 そもそも僕は、ファンタジーを否定する右手を持っていないし、特殊なパワードスーツを(あやつ)れもしないし、一見無能だけど実は最強系な主人公でもない。読書が趣味の、木登りなんて面倒なインドア系の十七歳だ。

「だいたい、寮の窓口で落とし物として渡しておけばいいだけの話だしね」

 そうそうフィクションじみた展開が起こるはずもないが、かのジュール・ヴェルヌも『人間に想像できることは必ず実現できる』と言っている。わざわざ怪しいフラグに近づくこともないだろう。
 先人の想像と教えに従い、僕は学生寮の正面へ回るべく(きびす)を返――

「――きゃああっ!」

 ――そうとした瞬間、頭上から悲鳴が振ってきた。
 反射的に顔を上げると、正体不明のピンク色の物体が僕に向かって落ちてきた。

「危ないっ!」

 考えるより先に生存本能が身体(からだ)を動かしてくれた。
 間一髪、僕は落ちてきたピンク色の物体Xから逃れることができた。

「いたたぁ……もう。ヒドイ! そこは受け止める流れじゃないですかぁ!」

 ピンク色の物体が、聞いてるだけでピンク色になりそうな脳天気な声を出した。
 よくよく観察してみれば、落ちてきたのはピンク色の長い髪の少女だった。一部のオバサンがやる紫や緑のメッシュみたいに、やたら目がチカチカしてくる髪色だ。
 落っこちてきた少女が、お尻を(さす)りながら顔を上げる。

「…………」

 僕はぽかんと口を開き、起き上がった少女を凝視(ぎょうし)した。
 凄まじい美少女だった。
 天使みたいな美貌(びぼう)、というのはこの少女のためにある言葉ではなかろうか。見た目は僕と同年代と思うのだが、芸術品めいた面立ちの美少女だった。
 柔らかな輪郭。長い睫毛で烟る大きな瞳。血色よく色付いた艶やかな唇。やたら目立つピンク色の髪も、その愛らしい美貌とセットだとむしろ納得するファクターだ。

 だが、僕が声を失ってまじまじと見つめていたのは、その美貌だけが理由ではない。
 いや、むしろその天使の如き美貌のせいで際立っているものが理由だ。
 少女は半裸状態だった。美貌に見合った魅力的な身体に下着だけという悩ましい格好だったのだが……

「……痴女(ちじょ)だ!」
「ヒドイ!」

 僕の悲鳴に少女が突っ込むが、僕が悲鳴を上げたのもしょうがないと思う。
 なんといっても、少女の下着は下着の用途を為していない。布地は少なめでおまけにシースルー素材で肌が透けているし、おまけに大事な部分には謎の切れ込みが設えてある。
 芸術的な美貌と身体付きなだけに、その下世話で悪趣味な下着が悪目立ちしてしまっている。ミロのヴィーナスに透け透けのベビードールを推し着せたかの如き暴挙だ。
 そして、そもそもこの少女はあの開けっ放しの窓から落ちてきたのだ。
 僕は常々、ライトノベルやヤングノベルと呼ばれる作品に対して、『窓を開けっ放しで着替えるとか、このヒロインは露出の気でもあるのか?』と頭を捻っていたが、この少女に関しては疑問の余地もない。こんな下着姿にも関わらず窓を開けっぱとか、問答無用で痴女だ。
 いくら見た目が良くても、明らかに地雷臭がする。
 僕はじりじりと、いろいろとピンク色っぽい美少女から距離を取った。

「むぅ~? なんでそんな警戒してるんです?」

 少女が首を(かし)げる。ピンク色の髪が揺れ、ついでにたわわな果実もぷるんと揺れた。ブラがブラの役割を果たしていない。

「……そうだ。このハンカチ、君のだよね?」

 さっき拾ったハンカチを(かか)げると、少女がぱあっと明るい笑顔を浮かべた。

「あ、そうそう! うっかりハンカチを落として、うっかり自分も落っこちちゃったんですよ!」

 そんなうっかりあってたまるか!
 突っ込みたくなるのを我慢する。
 ハンカチを左右に振ると、少女の視線も釣られて揺れ動く。
 だんだんハンカチの動きを大きくしていき、十分に少女の注意がハンカチに移ったところで、

「あっ」

 明後日の方向へハンカチを放り投げる。
 少女の視線が外れた(すき)に、僕は全力でその場から逃走した。


  ※   ※

 学生寮から十分に離れた場所で立ち止まると、僕は警戒しつつ周囲を見回した。
 花壇で色とりどりの花が咲き誇る庭園だが、視界に花以外のピンク色がないことを確認し、深々と息を吐き出した。

「はぁ…………なんとか逃げ出せたか……」

 お約束が嫌いなわけじゃないが、お約束ならお約束で最後まできっちり忠実であって欲しい。空から落ちてきた女の子を受け止めるのは吝かではないが、空から落ちてきた痴女は御免こうむる。

「……一癖も二癖もある生徒ばかりとは聞いてたけど、ああいう性癖はお断りだ」

 過ぎたるは及ばざるが如しで、あからさまなタイプは苦手だ。ああゆう格好は、此処ぞという時に恋人がやってくれるから興奮するのであって、こんな真っ昼間に遭遇すると、興奮より警戒が先に立つ。

「……僕の担当クラスじゃないといいな……」

 おっと、こんな独り言を呟いたらフラグが立ってしまう。
 不吉な考えを放り出すべく勢い良く頭を振った。頭を振りつつ庭園の生け垣の間を進む。
 いわゆる迷宮庭園――中世ヨーロッパに流行ったという生け垣の迷路を再現したらしい庭園は、予想以上に広いようで、地図もなく足を踏み入れた僕はかるく迷ってしまった。同じような場所をぐるぐる回りはじめる

「えーと……こういう時は右手を壁に触れながら進むといいんだっけ?」

 いや、左手だっただろうか?
 まぁ、右手でも左手でも大丈夫だろう。
 右手を生け垣に沿わせ、生け垣の壁伝いに進んでゆく。幸いそこまで意地悪な構造ではないらしく、飽きてきた風景からすぐに抜け出すことができた。そのまま生け垣に手を添わせ、すいすいと進んでゆく――

「ぐっ……」
「きゃ、あっ……」

 すいすい進むあまり、前方不注意になっていたらしい。
 生け垣の曲がり角から飛び出してきた小柄な人影と打つかってしまう。
 まったく予想もしていなかっただけに、飛び出してきた人物のの頭が、何の準備も心構えもない無防備な僕の鳩尾(みぞおち)へ打ち込まれる。僕は息を詰まらせ、なんとも無様に尻餅(しりもち)をついてしまった。

「ぐ、うぅ……いったいなんなんだ…………」

 息を整えて顔をあげると……そこには目を洗われるような光景があった。
 純白の、パンツ。
 それもただのパンツじゃない。
 下品にならない程度に(めく)れ上がったスカートから垣間見える、はっとするほど芸術的なパンチラだった。
 尻餅をついているため足が投げ出されているが、お尻の部分に挟まったスカートの(すそ)がやけに(とうと)い。ヴィーナス像が携える薄布を思わせる清涼さを付与しているかのようだ。
 モロ出しではなく、あくまでチラ見せだからこその新鮮な感動を僕は覚えた。芸術の真髄は隠すこと、という類の名言があった筈だが、なるほどその通りだ。何でもかんでも(さら)け出せばいいというものではない。
 隠す気が全くない痴女を見た後だと、余計にそう思う。

「……注視、されるとちょっと恥ずかしいですね……」

 パンチラが(しゃべ)った。
 いや、喋ったのはパンチラの主だ。
 名残惜しく視線を上方修正すると、そこには妖精みたいに可愛らしい少女の顔があった。
 遠くを見ているようにぼんやりした目をしているが、それがむしろ彼女の可愛らしさのアクセントになっている。

「……新人、の教師の方ですか?」
「あ、うん。そうです」

 白を貴重とした制服を着ているから、間違いなく彼女はこの『学校』の生徒だろう。
 新人の教師が珍しいのか、彼女はぼんやり顔のままじぃっと僕の顔を眺める。

「……先生、は何の先生、です?」

 先生、か。
 つい最近まで学生で、教師になるなど欠片も予想していなかった僕が『先生』などと呼ばれると、なんとも場違いな気分にさせられた。

「……一応、文学論……国語の教師、ってことになるのかな?」
「国語、ですか」

 ぼんやり顔の少女の瞳が、なぜかキラリと輝いたような錯覚を覚えた。

「……先生、はエンターテインメントメディアにも詳しいです?」
「まぁ、人並み以上には(たしな)んでる方だと思うけど」
「成程、です」

 なにやらうんうんと一人(うなず)くと、彼女はぼんやり顔をそこはかとなく引き締めて僕の顔を真っ直ぐ見つめてきた。

「……先生」
「な、何?」
「何点、です?」
「は?」

 何点?
 何が?
 何に点数を付けろというのだろう?
 何を問い掛けられたのかとしばし混乱したが、改めて彼女の姿を見回せば、この可憐(かれん)な少女が何に点数を付けて欲しいのかは一目瞭然のことだった。

「…………八十七点、かな?」
「……質問、です。何が足りなかったです、か?」
「見せ方だけなら満点だけど、パンツの柄がね」

 芸術的なパンチラを眺め、僕は真面目くさった顔で評論した。

「白は鉄板ではあるけど、どうせだったらもっと可愛らしいのにした方がいいね。特に、そのハイニーソに合わせるなら、白はちょっと合わないかな」

 そう、彼女は白ニーソを()いていた。チラ見せするパンツを主役にするなら、ニーソは黒にした方がいい。もしくはパンツを白とは別系統の色にするべきだ。白と白だと、ちょっと主役が曖昧(あいまい)になってしまう。
 僕がまじまじとパンツを眺めながら説明すると、ぼんやり顔の少女が僅かに眼を見開いた。ぼんやり顔がデフォルトらしいのでちょっと判りにくいが、どうやら驚きに目を見張ったらしい。

「……慧眼(けいがん)、恐れ入ります……」

 彼女は、しょぼん、と擬音が聞こえそうなほどに肩を落とした。

「……目先、に囚われてしまっていました。見せ方ばかりに気を取られ、根本のファッションが(おろそ)かになっていたようです……」

 芸術的なパンチラは、どうやら弛まぬ研鑽(けんさん)(みが)かれたものらしい。
 彼女は自戒(じかい)するようにしきりに頷いていた。

「……パンチラが趣味なのかい?」
「否定、です。お約束、が好きなのです」

 小さな拳をギュッと握りしめ、彼女はぼんやり顔ながらに力説した。

「漫画、や小説を読んで、ずっと憧れていました。ヒロインたちはあの奇跡的なシチュエーションのために、どれだけの人知れない努力を続けてきたのだろうか、と。彼女たちに近付くためには、同じような努力が必要なの、です」
「はぁ、なるほど……」

 つまりは実践はオタクというわけか。
 まぁ、マンガやアニメの登場人物に憧れるのは正しく中二病と呼ばれる精神の通過儀礼だが、それでドッキリハプニングなシチュエーションを再現しようとか、かなりひねくれてる。別にヒロインたちだって、狙ってやってるわけじゃない……ハズだ。
 この『学校』には一癖も二癖もある生徒たちだらけと聞いていたが、どうやら僕の想像以上に変わり者ぞらいらしい。
 ひとしきり力説した彼女はすっと立ち上がってスカートをパンパンと叩き、改めて僕に目を向けてこてんと首を傾げた。

「……先生、は迷子ですか?」
「迷子でなければ何に見える?」
「了承、です。付いてきてください」

 彼女は僕の手を引いて生け垣の迷路を進みはじめた。完全に道順を暗記していたのか、五分としない内に迷路を抜け、『学校』の校舎まで辿り着くことができた。

「此処、で良いでしょうか?」
「十分だよ。手間を掛けさせたね」
「感謝、の印です」

 感謝?
 点数付けのことだろうか?
 こっちは悪乗りしただけなのだが、以外に律儀な性格らしい。

「機会、があればまたお願いします」

 ペコリと頭を下げ、ぼんやり顔の少女は小走りに校舎の中へ消えていった。
 機会があれば、か……

「……また打つかるのは勘弁してほしいけどね。

 小柄な彼女の頭突きに襲われた横隔膜(おうかくまく)の当たりを撫ぜて苦笑した。
 気を取り直し、校舎を見上げる。
 白い箱型の、典型的な“学校の校舎”と見えるこの建物は、正式名称を『特別心質保全矯正施設』と言う。
 この僕――六方カザネの、新しい職場だ。
 僕はここで教師に――教師役に従ずることになっている 。

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