桜色のレプリカ 前日譚 後編(終)

作者:翅田大介

 校舎の最上階の一番奥には、リノリウム張りの廊下にはいささか場違いにも見えそうなシックな木製の両開きドアがあった。
 ドアには、リングを加えたライオンのドアノッカーが設えてあった。
 ドアノッカーなんて初めて見るので、僕は恐る恐るリングを持ち上げて控えめにノッカーを打ち付ける。あまり力を入れてないのに、カンカンと甲高い音が静かな最上階に響き渡った。

「どうぞ、お入りください」

 ドアの向こうから声がかかり、失礼しますと言ってドアを開けた。
 広々とした部屋の内装に、僕はもう少しで溜め息を吐きかけた。
 この『学校』の校舎は、その外観同様にいかにも“学校”といわんばかりの内装になっていた。良く言えば質素、悪く言えば古臭く面白味のない作りだ。
 けれどこの部屋は、ここに来るまでの光景を考えれたら場違いなほど趣味が良い。
 チェッカーボード柄の小洒落た床に、映画でしか見たことないクラシックなダマスク模様の壁紙。応接セットや調度品は流石にレプリカだろうが、質は悪くなく、むしろ古すぎていないのが調和を保っているように見えた。

「六方カザネさん、ですね」

 センスの良い部屋の主が、部屋の奥の執務机の向こうから声を掛けてきた。
 綺麗な、落ち着いた雰囲気の女性だった
 色素が抜けかけた灰色の髪が丁寧に結い上げられて、控えめな清潔感を演出している。
服装は黒を貴重としているが、フレアの付いたブラウスが堅苦しさを適度に緩和していた。
そして、僕に向けられているのは、微笑みを浮かべた美しい(かんばせ)だ。
 妙齢の美女、という表現がしっくり来る、良くも悪くも年齢不詳な女性だった。
 美しい肌だけみれば二十代そこそこの若い女性と見えるが、唇が描く緩やかな弧は、人生経験の浅い者には形作ることの出来ない曲線に思える。
 僕に注がれる黒黒とした双眸も、けして鋭いものではないのだが、目を逸らせなくなる穏やかだけでない力ある輝きがある。

「ようこそいらっしゃいました」

 母性溢れる――祖母が孫を見るように柔らかな微笑みを浮かべると、妙齢の美女は小さなモーター音と共に執務机を回り込んできた。
 彼女は電動車イスに乗っていた。

「はじめまして。当『学校』――『特別心質保全矯正施設』の理事長を務める二階堂イツキです」

 自己紹介をした二階堂理事長がすっと手を差し出す。
 まじまじとその手を見つめた後、ようやく握手なのだと思い至り、慌てて握り返した。

「……失礼しました。本日からお世話になります、六方カザネです。よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします」

 僕を安心させるように、二階堂理事長が改めてにっこりと笑った。
 恥じ入って俯けたくなる顔を何とか理事長に向けたまま、多少ぎこちなく笑い返す。
 理事長に促されてソファに座ると、彼女はサイドテーブルでお茶の用意をしはじめた。車イスながら何ら不自由なさそうに作業する理事長を眺めながら、僕はソファに沈むお尻の位置を何度も直した。
 ソファの座り心地は文句の付けようもないのだが、どうにもむず痒い、奇妙な居心地の悪さを感じていた。

「さ、どうぞ」

 理事長が用意した紅茶を勧めてくる。お礼をして、嗅いだことのない香りのお茶に口を付けた。
 ……美味しい。
 紅茶という飲み物は、こんなに美味しい飲み物だったのか?

「気に入っていただけましたか? 紅茶には、ちょっと自信があるんです。美味しいでしょう?」
「あ、はい。こんなに美味しいお茶……というか飲み物は初めてかもしれません」
「それは良かった。この部屋に来る方にはもれなく振る舞うことにしていますから、次も期待してくださいね」

 僕を緊張させないようにとの心遣いか、理事長は見る者を安心させるような穏やかな笑みを浮かべた。
 僕も微笑み返す。返したのだが、やっぱりどうにも居心地が悪い。二階堂理事長はどう見ても警戒するような人物には見えないのだが、やはり彼女の理事長という『学校』の責任者の肩書きに緊張しているらしい。
 僕が何とか心持ちを落ち着けようとしていると、二階堂理事長はゆったりした口調で話しはじめた。

「あなたはこれから、この『学校』で教師役を務めてもらいます。よろしくお願いしますね、六方“先生”?」
「はい……けど、まだ成人もしてないのに先生と呼ばれるのには違和感がありますね」
「すぐに慣れますよ。六方先生には文学を担当してもらいます。なかなかの読書家と伺っていますので、期待していますよ?」
「……恐縮です」
「あまり緊張しないでください。姉弟や従兄弟の家庭教師くらいの気持ちで良いのですから」

 僕をの気持ちをほぐそうとしてくれているのは理解できるのだが、僕には弟も妹もいないし、従兄弟の家庭教師をした経験もない。多少の事前講習は受けているが、あまり安心することはできなかった。

「まぁ、慣れるより慣れろですかね。この『学校』の生徒はいろいろと特殊ですから」
「それは知っています」

 ここに来るまでに会った二人の女生徒を思い返せば、普通という言葉は適切じゃない。
 僕が即答したのが何やらツボだったらしく、二階堂理事長がクスクスと笑った。
 
「まぁ。もう何人かの生徒と顔を合わせたのですね?」
「はい……いろいろ特殊でした」

 理事長がさらに可笑しそうに笑う。僕は普通に返したつもりだったが、何かが彼女の琴線に触れたらしい。

「きっと六方先生は良い先生になりますね」
「そうでしょうか?」
「ええ」

 妙に確信した風に、理事長は深々と頷いた。
 特に変わったことを言ったつもりはないのだが、理事長はやけに楽しそうだ。
 それからしばらく談笑してお変わりした紅茶が空になった頃、かんかんとノックの音が響いた。

「失礼します」

 入ってきたのは、真面目そうな雰囲気の女子生徒だった。
 前髪をきっちり七三分けにし、後ろ髪は肩口で切り揃えている。
 きりりと整った顔立ちで、意志の強そうな瞳がメガネのレンズの向こうで煌めいていた。

「六方先生が担任となるクラスの生徒です」
「はじめまして。五十嵐ヒビキといいます」

 眼鏡を掛けた美少女――五十嵐ヒビキは、いかにもキッチリとした性格そのものの声音で自己紹介をした。

「後は彼女に案内してもらって下さい。五十嵐さん、お願いしますね」
「かしこまりました、理事長先生」
「それでは、よろしくお願いします。六方先生、期待していますよ」

 にっこりと笑う二階堂理事長に見送られ、僕は五十嵐に先導されて理事長室を後にする。
 理事長室のある最上階から階段を下っていると、ホッと吐息が漏れた。やっぱり、自分が自覚していた以上に緊張していたらしい。理事長は穏やかで包容力のありそうな美人であるが、あの余裕がなんだか落ち着かない。教師になった僕がいうのも何だが、それこそ教師と進路相談でもしているような落ち着かない気分にさせる人だった。

「…………」
「ん? どうしたの?」

 目の前を歩いていた五十嵐ヒビキが、立ち止まって僕を見上げていた。
 僕が問い掛けると、彼女はきりきりと細い眉を吊り上げた。

「失礼ながら、六方先生は先生となられました」
「? うん、そうだね?」

 理事長室で思わぬ緊張をしていた反動か、どこか間の抜けた声で頷き返すと、五十嵐は眉に続いて口の端もきりりと引き締めた。

「失礼ながら、先生は生徒の手本となられる方です。そんな風に気の抜けた態度では示しがつきません。もっとしゃきっとなさって下さい」

 制服姿なのに、むしろ彼女の方が教師みたいな言葉で僕を叱咤する。
 その口ぶりと、眼鏡を掛けた真面目な優等整然とした五十嵐を見て、僕はふと疑問が湧き上がった。

「……五十嵐って、クラス委員長か何かなの?」
「はぁ? なんですかいきなり?」
「いや、いかにも委員長って感じだったから」

 真面目というより生真面目、バカ真面目な感じの五十嵐は、どう見ても委員長タイプの優等生にしか見えない。
 が、五十嵐は質問した僕にムスッとした顔で睨み返してきた。

「……この『学校』に委員長という役職は存在しません。私は委員長というわけではありません。ですが、心は委員長のつもりです」
「心は委員長」

 聞いたことがあるようでまったくない表現に、僕は思わず呟いてしまった。
 そんな僕の呟きがバカにされたものと思ったのか、それとも本物の委員長でないことが不満であるのか、五十嵐はさらに不機嫌そうに眉と口をひん曲げた。

「ええ、そうです。心は委員長です。ですからクラスの風紀を引き締めるのも僭越ながら私の仕事だと思っています。なので六方先生にはちゃんと先生らしくしていただかねば困ります」
「善処するよ」

 生真面目に委員長というキャラにこだわる五十嵐が妙に可笑しく、僕は政治家みたいな返事をしてしまい、五十嵐はまたさらに表情を顰めていた。
 それからさらに二言三言苦言を呈した五十嵐だが、言い足りなさそうにしながらも案内を再開した。
 授業中らしい教室を幾つか通り過ぎ、いまどき珍しいくらいクラシックな……悪く言えば古臭い引き戸を空けると、教室の中には三十名ちょっとの生徒がいた。

「あーっ!」

 その生徒の一人が、大きな声を上げて勢い良く立ち上がった。

「さっきの酷い人!」
「酷いのはそっちの頭じゃないか?」

 学生寮で落っこちてきたピンク頭の痴女がそこにいた。ちゃんと制服を着ているのだが、あの下着姿を見てしまったためか、それとも素体がどうしようもないのか、無駄なほど色気を振りまいている。ただ立っているだけでもエロい空気を放つとか、ある意味感心する痴女っぷり……いや、その髪の色に見合った淫乱ピンクぶりだ。

「……酷い?」
「そうだよ、ヒビキちゃん! その人、据え膳を前にして逃げちゃったの! 酷いと思わない?」
「またですかアイラ!? 酷いのはあなたの頭です!」

 五十嵐が委員長じゃないのに委員長らしく怒鳴りつけると、何人かのクラスメートたちがうんうんと頷いた。
 頭痛を堪えるようにこめかみを押さえ、五十嵐は僕へ向き直った。

「……六方先生。あの頭の中が幸せな自称淫乱ピンクは三十刈アイラといいます。あの能天気は、これからも先生に様々なアプローチを掛けると思いますが、けして誘惑されないでくださいね? 教師と生徒が関係を持つなど、委員長として認められませんので」

 委員長でもないのに頭を痛める五十嵐へ、力強く頷いて置いた。据え膳がどうのこうのと言っていたが、大事なのは据え膳に置かれた食材だ。据え膳なら何でもかんでも食いつくと思われるのは、僕としても楽しいことじゃない。
 
「……ん?」

 やたら目立つピンク頭に気を取られていたが、横顔に視線を感じて顔を向けると、すぐそばに小柄な女子生徒が、可憐な顔をじっと僕に向けていた。

「……運命、キタコレ」

 庭園で曲がり角インパクトをかましてきた少女だ。
 ぼんやり顔ながらそこはかとなく興奮したように鼻息を荒くしていた。

「……君もこのクラスの生徒だったのか?」
「肯定、です。四十田ユキ、といいます。ご指導ご鞭撻、よろしくお願いします」

 小柄な彼女がぺこりと頭を下げる。
 ご指導ご鞭撻……教師への挨拶としてはありふれたものだが、何となく別の意味を感じる。
 たぶん、四十田の言う『ご指導』とは、あのお約束なシチュエーションに関してのことなのだろう。

「…………」

 三十刈たちを自分の席に座らせ、僕は教壇に立って、僕が担任することになるクラスを見回した。
 ここに来るまでで、自称淫乱ピンク、お約束マニア、委員長じゃない委員長キャラと、やたら癖のある生徒に遭遇した。
 きっと他の生徒たちも、一筋縄ではいかないのだろう。
 今更ながら、彼女たちの教師をすることに、一抹の不安を覚えはじめた。
 
「……ほとんどの生徒たちにははじめまして。六方カザネといいます。君たちに人間論――“人間らしさ”を教えるためにやってきました」

 もっとも、そんないろいろなことを勘違いした生徒たちだからこそ、僕みたいな若造が教師役に選ばれたりするのだが。
 妙なキャラクター性ばかりの生徒たちに見つめられ、こうして僕の『学校』の生活がスタートするのだった。

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